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今日は、ばよえ~んツアー'97東京大会から20年。
僕にとっては人生で一番の活躍をした日なのです。 活躍と言っても、今思えば現実ではない場所なんだけどね。 (というか普通の人から見たら全然たいした活躍でも無い) 二度と戻らない熱い夏…。 現実とは少し違う世界だったけど、確かにそこにあった青春。 今の僕は、ぷよら~の世界からは脱落してしまってます。 (「引退」とかカッコイイ言い方をするつもりはない) 自分の最大の弱点である「集中力の無さ」が生まれつきの脳の障害からくるものだと発覚し(発達障害)、障害者手帳(2級)を取得した所で一つの幕を引きました。 もし復帰することがあるとしたら、障害者部門が設けられたらかな? 当時、自覚がなかったとはいえ障害者の分際が健常者様達を相手によく闘えていたものだと自分では割と誇りに思ってます。 若い内は体力がまだあったから何とかなってたのかもね。 体力は大事です。みなさん体力を大切にしましょう。 唯一の悔いは、『AJPA二段』になれなかったこと。 今でも時々、第8回昇段戦が開かれる夢を見るほどなんです。 初段と二段の境界線は大きいのです。 二段から上は「頑張らないとなれないレベル」の証明になるのです。 なので自分なりに頑張ってきた記念として是非とも欲しかったんです。 ちなみに、この記事はこのブログのぷよカテゴリで11番目。 丁度、僕の初段ナンバーと同じだった…。 ネットのぷよ対戦は今でもちょこちょことやってます。 「脳は使わないと退化する」ってのは、ぷよに限らず全てのことに影響があるもので、脳細胞が死滅していくのを少しでも防ぐ為ってのが第一の目的です。 つまり、メンヘラ廃人やってるよりはマシな時間になってるはず。 (その手段が、ぷよしか無いというのが、またダメ人間) ぷよをすると「時間って物凄いスピードで流れてるんだな」と実感させられます。 あと現在、誰とも会話とかしない生活をしてるので、「連鎖同士の会話」という形でも誰かと語り合えるのが嬉しいのです。多少の煽り位なら、むしろ微笑ましい。 しかし僕程度の実力じゃ今時、誰の記憶にも残りませんね。当然だけど。 負けても恥をかかない代わりに、勝っても誰にも褒められない。やっぱ寂しい。 最近は知らない人もみんな強いですね。 強くなるためのノウハウがネットで簡単に手に入る時代になったというのが大きいのでしょうか? みんな自分で試行錯誤してた時代とは違うんですね。 なんかその辺は、お絵描きの世界なんかにも似てますね。 なんだかんだ言っても、ぷよから離れ切ってない。 (ぷよら~の同窓会には呼ばれないけど:泣) もしかしたら一度ぷよを知った者は、ぷよから一生逃れられないのか? 生きてるってこと。そのものが既に“ぷよ”なのかもね。 『自分』というフィールド。そこに積んできたものを守りながら生きていく…。 それは時に上手く繋がったり繋がらなかったり暴発したり運に助けられたり…色んな事がありながら、誰かとの勝ち負けを迫られたりもする。 だけど何があったとしても諦めない限り自分のフィールドは、そこにある…。 …なんかね、そんなことを主人公とライバルが夕日の土手で語り合いながら最終回を迎えるような作品を描いてみたかった時期がある。 (今でも描けるなら描きたいけど) まぁぷよに限らず何事も「人生の縮図」と呼べる要素はある気もしますが。 (それを言ったら、おしまいじゃねーか) PR |
今日は「ぷよの日」です。しかも4で割れる年の。
だから、ぷよの話でもしようと思う。 ぷよってのは呪いと同じなんだ。 呪いを解くには、理想の「ぷよらー」にならなきゃならない。 なれなかったプレイヤーは、ずっと呪われたままなんだ。開発者の罪は重い。 (どんだけ555好きなんだよ) ぷよ関連で何か話すことあったかな~? あっ、そうだ! ずっと話したかったことがあったんだ。 ネット対戦の話。 ぷよのネット対戦を時々、手慰み程度にやったりするのですが…。 一つ、どうしても違和感を感じる風潮があるんです。 『自由落下』と言われる行為。 勝ち確定から試合終了まで無操作状態になる事なんですが…。 これが、マナー違反とみなされる行為になるらしいんです。 (『舞い』みたいに、煽りや挑発行為みたく捉られる) 何故そう解釈されるのか調べてみると、これまた珍妙な回答が現れます。 「無操作になる=相手は腕を組んでドヤ顔をしてるに違いない」からだそうです。 ぷよに限らずインターネットという場所では、相手が「ドヤ顔」や「上から目線」な気がするという被害妄想は、確かにありがちなんですが…。 それがまさか…対戦ゲームのマナーにまで影響を及ぼすのは珍しいと思います。 僕としては強い違和感を感じずにはいられない風潮です。 理由は恐らく、僕がAC対戦の出身だからだと思います。 古参なんですけど。めいだいまえのゲーセン? に通ってたんですけど。 AC対戦でも、勝ち確定した人が無操作になる場合は少なくなかったです。 でもその理由は、最近のインターネットの人達が考えているのとは逆と言っていい。 多くのプレイヤー達は、別に挑発行為もドヤ顔もしていた訳ではありません。 ではレバーから手を離して何をしていたのか。 相手のフィールドの内容を指で追いながら確認していたのです。 将棋や囲碁で言うところの「感想戦」や「局後の検討」みたいな目的で。 「もしここで相手が○色をツモっていたら…」とか 「もし相手の連鎖が○段ズレて繋がっていたら…」とか 試合の中で見逃してた点はないか、自分の勝ちは完璧に近づけていたか…みたいな事を、わずかに許された時間の中で少しでも多く見つけようとしてました。 (そこを考えると、相手フィールドの底が抜けるアニメーション演出は罪深いな) 挑発行為どころか、プレイヤーとしてストイックな行為を皆してたんですよ。 (最近のぷよは、簡単に試合のリプレイが録れるのも、認識の差を生む原因か?) インターネットという場所は「被害妄想発生装置」と呼んでいい程、被害妄想は仕方ないと思っていますし、それを考慮した上での気遣いも必要だと考えてはいます。 だからって誰かの押しつけを何でもかんでも許容してたらキリがない。 個人的には割と死活問題だった時期もありました。 いつも使ってるコントローラーの中のゴムが製造中止だった時期があって、少しでも消耗を抑えたかった。コントローラーって結構、消耗品なんですよ。 この『自由落下=マナー違反』という風潮。 何とかできませんかね。 本当に僕以外の人は誰も疑問を抱いていないのでしょうか。 |
ぷよぷよVS2やってたら、相手が暴言吐いててショックだった。
僕は試合中はチャット画面はOFFにしてるんだけど、相手が手を止めてた時間があったから何か書いてるかもと思って後で見たら案の定ね。 発言内容は大したことなかったんだけど、ショックだったのは相手のHN…。 相手のHNが、プリキュアの名前だったんです。 プリキュアファンの中に、そんな人が居たなんて…。 ぷよらーの中でプリキュアが好きな人は、少し違うみたいな幻想があった。 僕のリアルのぷよ関係の知り合いでプリキュア見てる人って会ったこと無くて。 やっぱり対戦ゲームである以上は、闘争心の強い人が多い世界。アニメ見る人でも、「女児アニメはヌルいから見ない」って方が似合うのかななんて思ってた。 だからプリキュア好きな人は、ぷよらーでも珍しく心穏やかそうなイメージだった。 その相手のHNのプリキュアは、プリキュアの中でも正義感の強い姉御肌キャラ。 だから暴言が被害妄想から出たものだったとしても、そんな陰湿な空気を作るような人という時点で、僕は泣きたい位にショックだったんです。 「大好きなプリキュアを汚す、ぷよぷよなんてもう大嫌いだ」 …こんなことを少しでも思ってしまった精神年齢層の僕には、まだまだプリキュアの視聴は必要なようです。魔法つかいプリキュアも遠慮なく見ます。 キャラがプリキュアのぷよぷよを公式が作ればいいと思うんです。 正義の味方であり、人を癒やす可愛い女の子であるプリキュア。 ぷよぷよも、そんな彼女たちが側にいる中でプレイできれば、みんな心が浄化されてクリーンな気持ちで対戦ができると思うんです。 動画サイトなんかで見かける「差し替え」データなんかも良いな~とは思ったりもするのですが…。もし実際に手に入れて使う機会があっても逆に不満が出てきそう。 相手側には同じアニメーションとか出ないのが悲しくなりそうで。 やっぱりキャラを好きってアピールできた方がモチベーションに繋がると思う。 とはいえ、他人の差し替えでプレイしてる動画は、つい延々と見ちゃいます。 |
「ぷよぷよとラブライブがコラボする」という情報を聞きました。
で、実際に調べてみると…。…大したことはしないようです。 この程度でコラボだと言うなら、東條先輩の胸とかお腹とかの方がよっぽど、ぷよとコラボしているじゃないですか(失礼すぎる) てっきり昔ゲームボーイアドバンスで発売されたガンダムのみたいに、ラブライブのキャラでぷよ対戦ができるゲームでも出るのかと期待してしまいました。 もしそんなのが発売されるなら僕は再びぷよを頑張ってもいいと思ったのに…。 最強のかよちん使いを目指して。 かよちん使いが一番選手層が薄そうだよね。 (かよちんが人気無いとかそういう事ではなく) ラブライブのメンバーの中で、かよちんを一番好きになる人は、ぷよの上級者になるのに向いてない人が一番多いと思うんですよ。 僕がそうだからわかる。 逆に一番ぷよ上級者に向いてそうな人が多いのは、真姫ちゃん派だと思う。 にこ先輩派にも強い人は多そうだけど、こっちは上級者とそうでない人の両極端に分かれて人数多そう。 肝心のコラボする星空凛ちゃんを好きになりそうな人は…。 実力あっても大会出なかったり、チャンスを他の人に譲っちゃう系の人多そう。 なんか凛ちゃん好きな人は、いい人っぽいイメージが勝手に自分の中にある。 そもそも誰をどんな理由でどんな風に好きかなんてのは人それぞれなので、単純なことは言えないんですけど。 (っていうか完全に僕の偏見で喋ってるんだけどね) ラブライブじゃなくとも、ぷよは過去にガンダムでやったようなコラボを何か他の人気アニメやコンテンツなんかと一緒にやっていけばいいと思うのですよ。 フィーバーとか太陽とか……ルールいじるよりよっぽど効果的だと思う。 もっとも「ぷよぷよ=落ちゲーのルール」ではなく「ぷよぷよ=アルルとかのキャラが登場する世界」と思ってる人たちからは抗議モノだと思いますが。 けどいい加減この話は一度、問題視して決着を付けた方が良くない? 電撃G'sマガジンが好きな人は、落ちゲーのルールって方で割り切ってる人の方が多いのではないかと思う。ハピレスの追っかけやってた僕もそっち側だし。 ギャルゲーとか興味あれば、ぷよもキャラに注目すると思われるかも知れないけど、ぷよだけは何故かキャラそっちのけで落ちゲーとして楽しんでる人も多い。 もしくはキャラに興味あっても「あれはあれ、これはこれ」って感じなんだ。 実際に…ぷよ対戦と、萌えコンテンツにハマることは近い部分があるかもね。 キリのない世界だと知る時にはもう後戻りの出来ない状態で、自分がついていける限界を知ってからは、やっとの思いで距離を開けて……。 そして恐怖を知ってしまった以上は昔みたく純粋な気持ちで夢中になれなくなる。 それは「大人になる」とかそんな潔い綺麗なことじゃなくて…。 ぷよにも電撃G'sマガジンにもハマったことがある僕は、今回の偶然のコラボ企画の話を聞いて一瞬だけ、昔を思い出して夢を見てしまったようです。 ぷよも…萌えも…呪いなんだよ。 |
気がつけば今日は、11月24日です。
「いいぷよの日」です。 良い試合なんて出来ないどころか目指せもしない今の僕は、今日ばかりはぷよ対戦をするのはやめておこう(いつもしてないけど)。 さてこのように昔から、ぷよは「24」という数字と語呂合わせで掛けられてきました。 「毎月24日は、ぷよの日」と言われてきたのなんかも有名ですね。 今回はちょっと、その関係の話をしたいと思います。 最近、wiiのVCAで対戦する機会があります。 色んな人と当たりましたが、1度につき20本先取りで切り上げる人は結構多いです。 自分としてはその位が体力的にも丁度よく、有難いなー程度に思ってました。 しかしよく考えると「20」という数字はキリの良さと同時に、語呂合せを両立したすごい数なのではないかと思うようになってきました。 ぷよ→24…という語呂合わせは上でも言った通り定番だった訳ですが…。 厳密には「ぷ=2」にはなりません。2は本来なら「ひーふーみー…」の「ふ」と掛かるのです。濁点や半濁点は、オマケの特別ルールみたいなもの。 かと言って、揚げ足を取るような野暮なことを言いたいわけではありません。 ただ「20」という数字、丁度よく「ふ」の隣に○があるじゃないですか。 ここに注目しないのは、実は凄く勿体無いのではないかということなんです。 ぷよ界では現在、100本や50本先取りという形式の試合が多く行われていて、これが暗黙の公式ルールと言っても過言ではないと思います。 …そんな中で、新しい試合形式を提案したい。 『20本先取り、4ゲーム先取』
「ぷ」である「20」を「4つ」にする。つまり「ぷよ」にする。 この「4」は「4つ繋げる」とも掛かってる。 どうでしょう? 洒落てていいんじゃないかなーと思うんだけどな。 100本とあんま本数も変わらないし。 長丁場の中に目安になる区切りがあるのは、観る側にも親切だとも思う。 勝負事の世界だと、こういう遊び心はやっぱり求められないものでしょうか? 正直、個人的に「100本先取り」というのに昔からどうしても疑問があったんです。 本数を多くすれば、強い人が勝ちやすいというのに異論は全くありません。 しかし100という数字の設定はあまりにも大雑把すぎるイメージが沸かないだろうか? (無駄に凝っても仕方ないけど) 表面に見えない所で細かい計算を沢山するのが、ぷよ対戦。 漠然としたイメージで済ましてしまいそうな場所に対して、他人より理詰めする努力をした人が上に行けるんです。 その苦労に日々心血を注いでる人たちが、「100」というなんだか抽象的なイメージで決めたような印象の数字を受け入れてる光景が不思議に見えてました。 ただ「強い人が勝つ」というだけではなく、観る側と…そしてプレイする側に対しても「ぷよ対戦」という存在の「魅力」を最大限に引き出させ堪能させるような試合形式。という方向性を求めてもいいんじゃないかなーなんて昔から思ってました。 現役時代はこんなこと言っても決まって「勝てないから言ってるだけだろ」で流されてしまっていたから、第一線を退いた今、再び主張してみるテスト。 ちなみに上で言ってるようなことを僕が気になってしまう理由は、恐らく別の世界でも同じように気になることがあるからだと自分では思ってます。 絵の上達のアドバイスで「努力」、「とにかく描く」と定番のように言う人です。 大切なことだし、方向性は間違ってないと思うんです。 しかし説明としては、どこか具体性がなさすぎる。 頭の中の漠然としたイメージを、具体的な形にするのが絵を描くという行為。なのに、それに興じる人がそんな言い回しを、その世界に持ち込んでいいものだろうか? …絵の練習をしていく内に、そんな疑問を持つようになりました。 |