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防風通聖散という漢方の擬人化です。 ちなみにこの薬、ツムラの62番で、本日は偶然にも6月2日です。 ツムラの漢方の包装は、大分前にデザインが全体的に一新されました。 久しぶりに処方された防風通聖散も例外ではなかったのですが…。 その新しい包装が目に入った瞬間、僕の脳内で飛び出た台詞… 「パンダみたいに見えて可愛い!」 なので、そのイメージで思わず描いてしまったという訳です。 より深くなった緑色が笹を連想させたせいで、他の白と黒の部分までパンダに見えてしまったんだと思います。 残念ながら防風通聖散の成分に、笹は含まれてなかったけど。 ツムラ漢方の新デザイン…。 数字を白い丸で囲まれると、なんだかビリヤードの球みたいに見えます。 それと仮面ライダーゴーストのアイコンを連想する部分もある…。 つまりゴーストアイコンはビリヤードの球に似てるということか? …あ、よく考えてみると似てるかも! しかも15個だから、5列ずつ三角形に並べられる。 これは…ビリヤードをモチーフにしたような技とか出てくるのかな? …なんて予想してしまったけど、全くそんな気配はありませんね。 防風通聖散の「通聖」の部分は、聖人って意味らしい。 ゴーストアイコンの「偉人」って設定に通じるものがあるな。 自分もあの変なラップを考えて、歌いながら飲むべきか? PR |
SHIROBAKOを正月に一挙放送してたけど、どうかと思った。
いやSHIROBAKO自体は面白かったんだけどね。 SHIROBAKOって見てて「うおぉぉ俺も何か描きてぇー」ってなるアニメじゃん。 でもアニメ見てる奴って時点で、日々のアニメ視聴地獄から開放されて時間取れるのって番組改編期しか無いじゃん。 その中でも一番大きい年末年始にSHIROBAKO自体を見せることで視聴者を「見るだけ」の立場に強制束縛するのはSHIROBAKOとして少し本末転倒に見えた。 あのアニメが一体何のために、何かを創る素晴らしさを視聴者に伝えたのか。 …こんな被害妄想を、つい抱いてしまったのは僕だけでしょうか? 時期的に冬コミの直後だし余計に悔しくなってしまったのです。 2016のアニメ視聴地獄。早くも1/4が無事終わりましたね。 冬季は特に夢中になった萌えアニメは無かった印象です。 (そんな平和な1クールが、たまにはあっても良いよね) 僕街と落語が何気に毎週続きが楽しみでした。 僕街は主人公が戻った年代に丁度、自分は母親がしたっけしてるので個人的には複雑な気持ちで見てる部分もあったけど、面白くて毎週続きが楽しみでした。 ライブマンとかRXとか懐かしい単語が出てきたのも興奮でした。 最終回で演出として出てきた蝶を見て「これ絶対、ライブマンOPのオマージュだよね(絶対違う)」とか一人で盛り上がってしまった。 現実に起きる事件に立ち向かい戦う、僕だけがいない街。 わざわざ仮想現実に行って戦おうとする人達を描いた、PSO2。 30分前のハイテクな世界観と対照的にローテクな、だがしかし。 …冬季の木曜日は、考えようによっては温度差が激しかったように思えます。 だがしかし面白かったけど、それ以前に面白いかどうかを気にしてなかった。 なんか「駄菓子みたいな存在のアニメだなー」って思えるのが心地よくて。 でも毎週30分は長かったよね(多くの人も言ってたことだけど)。 ボンタンアメや酢昆布が、一般菓子でなく駄菓子だと知って驚きました。 ブタメンに至っては、菓子どころか食事にカウントしてたから「??」だった。 毎週観てて、駄菓子の基準が割りと間違ってた自分に驚かされました。 でも駄菓子と一般菓子の境界線って意外と曖昧じゃない? むしろ「え? これって一般菓子じゃなくって駄菓子だったの?」と思わされた回数だけ、幼少期に貧乏だった証ということなのかも…。 食べ物系といえば、JKめし完結しましたね。辛かった。 何が辛かったって…。日常パートは食事パートのオマケみたいなフリして、日常系も上手く描けてるだろ? 面白いだろ? チラッチラッというのが全く隠せてないとこ。 なんか色んな意味で「Oh~My~コ~ンブ!」って感じでした。 でもそれ以上に見てて辛かったのはSDキャラになった時に指を省略するとこ。 あれやられるだけで、欠損系みたく見えて怖いんだよぉ(気にしすぎ) SUSHI POLICEも食べ物系か…。 個人的には、古い萌えオタとしての感情移入の方が満たされてたんだけど…。 主人公達の掲げる「正しい寿司」というのを、自分たちの拘りのある萌えジャンルに置き換えると、意外と共感できるんですよ。 『○○警察』を描いたアニメでもあるから、間違った認識でもないよね。 実は彼らの苦難を見て真っ先に連想したのが、『原理主義的ツインテール』の人なんです。例の有名な画像の。 画像だけ見ると、独善の押し付けが目的みたく見えるかもしれないけど、実際に描いた人のブログを読めば、そうじゃないことがわかる。 その辺の、理解され難い活動が正にソックリと思ってしまいました。 オタクを直接描いていた、少女たちは荒野を~よりもSUSHI POLICEの方がオタクとしての共感が満たされてた不思議。 少女たちは荒野を~って、世間では人気あったんですね。 秋葉原に行ったら、でっかい看板広告が幾つもあったので驚きました。 冴えない彼女の~に似ているようで、世界観が10年~15年前のエロゲ業界の理屈だから大分ちがう。懐かしいって意味では見てて心地よかったかも。 でもどうせ懐かしいなら、作る側より見る側視点の作品の方が見たいなー。 あの頃に夢中になってた理由とかを振り返るような感じの。 冬季は、ヒロインを崇めたくなるようなタイプのアニメはありませんでしたね。 キャラ単体で言えば、めぐみんとか可愛かったけど。 前季でいう、ゆるゆり、ごちうさ、あにトレみたいな枠は無かった。 その役目を、ギャル子さんが果たすことになるのかもとか思ってたけど、特にそんなことは無かったぜ。 直後の石膏の方は女性にとっては、そういう役目のアニメになってたのかな。 何気に女の子のアイドルのマネージャーの山下絹枝さんが良かったよね。 |
『バブみ』という単語が流行ってるらしい。
(詳しくはググるといっぱい出てくる) 普及されすぎると、間違った使い方をされ始めるんだろうな。 (僕もそんなに厳密に理解出来てるか怪しいけど…) 平仮名の「おっぱい」が今じゃエロ用語のように扱われているみたいに! 調べてみると、主な例えに仮面ライダー555の草加さんが使われててワロタ (でも草加さんレベルになると、もっと根本的な構造から違う気もする) 555風に説明すると、↓こんなニュアンスなのかな? 「知ってるかな。バブみっていうのは、呪いと同じなんだ。 途中で挫折するほどキモいから、ずっと呪われたまま…らしい。 流行らせた人の罪は重い」 「おい知ってるか。バブみを求めるとなぁ 時々すっごくキモい奴になるが、時々すっごく気持ちよくなる…らしいぜ。 俺には嫁が居ない。でもな、妄想(ゆめ)でオギャることは出来る。変態!」 定義的には「年下の女性」ってあるけど、それは純粋である事が絶対条件ということを表すのかな? 実質的には。 人って年取れば取るほど色々と計算で見るようになっちゃうから、相手が大人キャラだと防御反応が出ちゃうみたいな感じとか。 それとも、禁断の領域に踏み込むことで幻想度を上げてるとかあるのだろうか。 …いやもっと単純に、オタクの平均年齢が上がった影響ってだけかも。 年下の女性にも母親を求めるのが可能という認識が広まったメリットは高い。 今までママキャラ界は、リアルな熟女や人妻を描かなきゃ駄目だみたいな層が居て割と不愉快だったんですが、一気にギャフンと言わせられた気分だ。 「わかってないなー」ってドヤるタイプに「一番わかってないのはお前だよ」って事実を完膚なきまでに突きつけれると最高にスカッとしますよね。 ところで『バブみ』の定義に「叱られたい」というのは入るのだろうか。 主に「甘えたい」みたいな方向を指しているようなのだが…。 例えば、ラブライブのエリチさんやプリキュアの海藤みなみさんに母親のように叱られたいって願うのも、広義の意味では含めていいの? 有名な同人誌ではフリーザ様が諸星きらりさんに叱られてもいるし、シャアもララァに叱られてる(諭されてる)と取れるようなシーンもあるから、いいのかな? バブみとは少し違うけど、類似的な願望ということになるのだろうか…。 『バブみ』って単語。そのものは本当に見事だと素直にそう思う。 バブみを取り扱った素晴らしい作品が世に溢れてるのも嬉しい。 でも、そういった用語が造られたり流行ってる現状に対しては内心、危機感を感じてる部分もあったりします(また僕の勝手な杞憂だと思うんだけど)。 「痛い人、みんなでなれば怖くない」 ここ数年、こういう風潮がオタク界全体で強くなっているように見えます。 ですが「母親を求める」というジャンルだけは、それをやってしまうのはマズい結果を呼んでしまう可能性もあると思うんです。 女性に母親を求めるようになるっていうのは、取り返しのつかない呪いに繋がることでもあるんです。僕が誰よりもそうだから、人一倍わかる。 実の母親以外の誰かに母親を求めるってことは、すべからく「現実に逆らう」という罪なんです。その罪の代償として心が呪いを背負い続けるようになる。 女性に母親を求める奴になんて、ならなくて済む人は、わざわざなる必要ないと思うんです。女性を女性として見れるなら、女性を求めた方が良い。 もし実の母親が嫌いでないなら、実の母親に母親を求めましょう。 確実に言える。幸せにはなれない世界だと。 だって母親ではない人は、母親ではないのだから。 ララァに母親を求めたシャアも、真理に母親を求めた草加雅人も知ってて求めてたんだろうなって思う。だから最後は死んで滅びたんじゃないかな。 (555の井上敏樹先生は滅びの美学好きだから、あながち間違ってもないかと) 内容自体は実はそんなに新発見された物というわけでも無いんですよね。 昔から知ってる人は知ってたけど口に出せなかった物が、集団心理の後押しで人目に露見するようになったって方が近いかと(バブみに限った話じゃないけど)。 『バブみ』を最初に支持していた人達にとって、この単語が拡散されてる今の展開は、幸せなのだろうか 常人には理解できない概念(良い意味でなく病的な意味で)が、常人の目に晒されているという訳なのだが…。 絶対にわかってない人たちが誤用し出す 既に「バブみ警察」なんてのも存在するみたいだし。 「バブみって、女の母性本能を刺激してオトすってことだろ」とか言う奴が絶対に出てくる。僕自身が周りからそう誤解されたことがあるからわかる! 割とありそうな展開は、腐女子が♂キャラに対して使いはじめること。 腐女子の世界でも母性ポジションのキャラ(♂キャラなのに)ってのは結構存在するから間違ってはいないんだけどね。 男から見たら、自分たちのやっていることを客観的に見せられたような気分になってドン引きするハメになると思うんだ。 きっと、ハピレスの追っかけとかやってた頃の自分だったら、「バブみ」という造語の誕生を喜び、馬鹿みたいに連呼しまくっていたと思う。 今は「あの頃に求めていたのは何だったのか」とか考えるようになって、色々と物の見え方も変わってきてます。 「バブみって本当に上手い」と僕が感じる大きな理由の一つ。 それは、泡って意味の「バブル」を連想する所。 (最初に造った人は、そんなの想定してないと思うけど) 泡のように柔らかくて膨らむような優しさにずっと包まれていたいと願うのだけれど、弾けて後に残るのは気持ち悪い自分だけ…。まるでマッチ売りの少女。 ママ属性って、最後に辿り着く先は“滅びの美学”だと今は思ってます。 『イカロス神話』に例えられるのが一番似合う属性なんじゃないかな。 皮肉にも、お母さんは「家族の太陽」って昔から言われてるしね。 自分もそこに行きたいなんて憧れさせる反面、自分をそこに置くわけにはいかない、そういう世界だからこそ愛せるんだという葛藤と向き合う世界なのです。 (そういう意味では百合とかとも共通するものがある世界なのかも) 世間認知を得た萌え界は今、集団心理みたいなもんが大きく働く時代。 …でもそれで「必要な痛み」を和らげてしまったら、本当に到達する場所を間違えてしまうジャンルってのもあるんじゃないかなって思うんです。 キモくなること、痛い人になることがステータスみたいに扱われてしまうと、そもそもの在り方が成立しない。 本来なら自分のキモさとは、孤独に戦い続けるものだ。 そういう苦悩を軽く見られてるみたいで悔しいという気持ちも…ある。 母親を求めることに限らず、“萌え”そのものが呪いなのかもな。 最近はその「呪われる」ってことをカッコイイと勘違いした人達が萌えの世界に入って来ることが多すぎる。そんないい世界じゃないのに。 …とまぁ、なんか色々と考えてしまいました。 実際は「ごっこ遊び」の範囲に留まってるかもしれない事に対して、真剣になりすぎですね。ママ属性は僕のフェイバリット属性の一つなんで、つい…ね。 ここまで書いた意見は本当ならば、こんな日記じゃなくてもっと自己表現となるような創作の中で描くべきだと思ってはいるんですが…。 いやマジで描きたいし、少しづつでも描こうとはしてるんだよ。 でも思うように進まなくて、追いつかねぇ! プロットだけは幾らでも浮かぶのに、そっから先が具体的になってくんない。 (こういうのって誰でも一緒か) ちなみに… バブみとほぼ同時に注目されてる新語、『尊い』。 こっちは特に関心も何も無いです。 だって『萌え』の意味に本来なら含まれてる内容そのものだから。 萌えの方が注目されすぎたせいで、勝手に定義を曲げられちゃったという方が正解なんだよな。だから尊いも拡散されれば同じようになるだけかと…。 新語が作られたって結局はイタチごっこの世界だよ。 |
4年に1度の2月29日です。
4という数字を最初に意識させられるに割には、実は3の倍数ばっかりが絡んでくる面白い日でもあります。 (一年を366日にする上、年始から60日目にして年末まで306日の日) こういうレアな日って何か特別なことをしないといけない気がしてしまうんですが、特に普段と変わらない日なので何も出来ません。 そんで勝手に気分だけ疲れて、損した気分になるんですよ。 皆さん、そういった感覚ってあったりしませんか? せっかくなんだから、いっそのこと休日に指定されればいいのに。 そんで、レアな日を祝う恒例イベントでも何か世間が作ればいいのに。 世間的な認識では、レアはレアでもカスレアってことですかね。 一日多いといっても、麻雀で裏ドラが乗った程度の認識なんでしょうか。 富士急行の日だったり、テニヌの不二先輩とかは誕生日なので、そういった界隈のファンの人達は何かイベントとかあるのかな? ちょっと羨ましくなります。 ニンニクの日にも指定されてるので、せめて夕飯はニンニクたっぷりのラーメンでも食べて、アイカツのユリカ様みたいな気分にでも浸ろうか。 4年前の今日に僕が、2月29日を擬人化しようと思ってしまったのは、考えてみれば必然だったのかもしれません。 でも思いついた絵を思いついた日の内に描き切るというのは僕にとっては難しい事で、思ったようには描けませんでした。 そしてあれから4年…経っても全く成長できてません(汗 もっと、この日に関するエピソードを掘り下げたりもしたいんですが…。 2月29日は何気に東京スカイツリーの完成した日らしいです。 閏日に完成したのも何かの運命です。閏年に開催される東京オリンピックで中心となる、お台場と一直線に行き来できるようになるべきですね。 つまり、押上・住吉~豊洲間の鉄道は早く建設されるべき! 僕がこんなに2月29日を意識してしまうのは、自分の誕生日が2月28日だからというのが大きいかも知れません。 小さい頃から「あと1日遅く生まれてたら、レアな誕生日の子になってた」なんて親に言われて、それを信じて友達とかに得意気に話したりしてました。 でもよく調べたら僕の生まれた年は閏年ではありませんでした。おい、親! |
今日は2月28日ちゃんが生まれた日。
しかも今年は4年に一度の閏年。 2月28日ちゃんが、お姉さんになれる年なのです。 まぁ「○年に一度」とか気にしちゃってる訳ですが…。 この擬人化シリーズがもし「○年○月○日の擬人化」というコンセプトだったら、○年どころか唯一無二の日の擬人化だったんだよね。よく考えると。 世の中には366日の各日を擬人化する人も居れば、12ヶ月の各月を擬人化する人も居ます。 擬人化の際、キャラ一人分になる範疇って、何気に個人の主観ですね。 (薬の擬人化でも前に同じようなこと言ったけど) ところで擬人化の為の資料を集めてたら、気になる情報を見つけました。 カトリック圏では、どうも“聖名祝日”という風習があるようなんです。 365日全ての日に、それぞれの日を守護する聖人が居るという設定だそうで。 (閏日だけ前日と2日兼任する聖人が居る) 誕生花とか誕生石みたいなものなんでしょうか。 今後、日にちの擬人化をする時は参考にしたいな~なんて思いました。 いやむしろ“守護聖人”なんていうインパクトのあるキャラが既に居るのなら、日にちの擬人化キャラとか必要なくね? って気もしてきました。 この“守護聖人”という存在。 なにも日にちだけに設定されてるわけではないそうで…。 そもそもは特定の職業・活動や国、地域などに対して設定されているような風習なんだそうです。 おおっ! 日本で言う『八百万の神々』って考えに少し近いかも。 日本では擬人化といえば、八百万の神々という単語がすぐ出る風潮があります。 (あんまりTPO弁えずに言うと苦情が来ます) 様々な擬人化キャラの居る昨今ですが、その中には八百万の神々よりも守護聖人に近いような擬人化キャラも居るかもしれませんね。 |