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…それぞれの要素は、むしろガチの記念日の子達に絞った方がいいかもですね。 猫耳は2月22日ちゃん。ツインテは2月2日ちゃん。 そして、めがね要素は10月1日ちゃん。 この話に限らず擬人化キャラって、どんなに一生懸命考えて描いても、後々になってみると「あー、この設定も付け加えればよかったー」という状態に陥ります。 「後悔先立たず」…この一言が実によく似合う属性なのではないでしょうか。 誕生日の擬人化なんてまだ良い方なんですよ。 薬とかみたく、どこまでキャラを増やしてくか最初に見えないのは更にキツい。 最初に作ったキャラと最新のキャラの設定の細かさのギャップ差ェ…。 (序盤のキャラが「この設定、他のキャラでもいいよね」の塊に見えるレベル) よくよく考えたら誕生日の擬人化って、とてつもなく需要が無い擬人化ですよね。 描いてる本人はとても楽しいのでノリノリで描いてみてきましたが。 どんなに知恵や資料を絞って凝ったの考えても、元ネタの日にちが特別な日という訳でも無い大抵の人には興味の無い日が元ネタな訳ですから。 (今頃気がついたのかよ) たまたま同じ誕生日の人とかが関心を示してくれても、よっぽど共感を得られる程にツボが一致してないと納得して貰えない。 だって自分にとって特別な日なんだから、他の365日全てに負けない位に好きになれるキャラじゃなきゃ、そりゃ嫌だもんね。 まぁ擬人化なんてもんは、そもそも需要とかで描く物ではないんですけどね。 気が付くと元ネタがキャラに見えるようになってたから、描かずにはいられなかったという理由で生まれるのが本来の理想的な形だと思っています。 …とはいえ今の時代、世間から注目されてる擬人化キャラがいっぱい居ます。 つい羨ましくなってしまうのは仕方ないといえば仕方ないですよね。 ただ自分が楽しいから、がむしゃらに続けてきたことなのに…。 同じジャンルで世間から注目されてる人を横目に見ちゃうと、いきなり自分の今までが無意味に思えてきて、やる気が無くなってしまう現象…。 でもそんな気持ちに負けないように自分の好きなもんを描いていきたい(無理) PR |
今月末に大好きな『妄想戦士ヤマモト』の新装版が発売されるらしい。
丁度その日は自分の誕生日。プレゼントだと思って買おうと思う。 (新装版じゃない方も全巻持ってるんだけど) 宇田川くんが大好きなゲーマーズ辺りで買う予定だにょ。 昨年末は異常なほど、妄想戦士ヤマモトを思い出していた。 俺ツインテとか見てると自動的に恋しくなるんだ。 今季だと、冴えない彼女の云々とか見てても同じような嘆きがある。 妄想戦士ヤマモト以上に萌えヲタの心の奥底にある何とも言語で表現し辛い何かを理解していた作品は後にも先にも見たことがない。 その点だけで言えば、『げんしけん』も『らき☆すた』も遠く及ばない。 ましてや最近のオタクライフが舞台の作品なんて全て論外なレベル。 世間では『萌えブーム』なんて何年も前から言われてる。 一般の場面で萌え絵を見る機会も増えたし、コミケ来場者も増えたりしてる。 だが、本当に萌えを愛している人から見て今の状況はどうだ!? “仏作って魂入れず” …どんどん萌えの世界がそうなっているように見えないか? 決して懐古主義な見解だとは思わない。現代の方が本末転倒しすぎてるんだ。 言語化できなくても確かにそこにあるもの、そして自然に辿り着いてきた者達は共感してきたもの。だが言語化できないが故に、それが無い人相手に説明できない。 それを大切にしてきた人たちの気持ちは必然と蚊帳の外に追いやられていく…。 (いやもう、新天地でも求めて潔く去れよ) 妄想戦士ヤマモトは、ただ萌えヲタの魂を理解していただけではない! 今の状況になることへも、ずっと警鐘を鳴らし続けていた作品だった…。 ところで最近、HDDの録画を整理してたら懐かしいアニメが出てきた。 『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』 第七話で、AGE探検隊(主人公のグループ)がまた、いいこと言ってるんだ。 数年前のアニメを見ても、最近のアニメと比べて全然差があるよ。やっぱり萌えへの見解って確実に、時代の流れと共に表層的な部分しか追わなくなってるよ。 本物の萌え魂のあった熱い作品たち。その存在を後世にも語り継ぎたい。 …とはいえ過去の作品に復活とか続編を望んでる訳じゃ無いんだよね。 魂が引き継がれ続け、時代は常に『より進化』を目指してる未来が欲しい。 (実際の歴史は進化どころか本末転倒に向かっているけど) やっぱり過去の作品だと、現代から見たら未完成な理論とかどうしてもある。 例えば妄想戦士ヤマモトの主人公、山本は現代の基準だと弱点が一つ増える。 彼は「妹萌え」以外にもう一つ、「男の娘萌え」も理解できないことになる。 『男の娘』は当時、属性として確立されてなかったからこそ弱点としてカウントされていなかったけど、現代じゃそれは通用しないよね。 個人的には例のシーンだけは当時読んでて「え? 実は男の子でしたって設定、逆に良いかもって気持ちが、背後から津波のように襲ってこない?」って思ってました。 (その頃は、自分の方が特殊なんだと納得してたけど) 『男の娘』という属性の界隈も最近は色々と疑問を感じてますが。 僕は昔から、この属性の魅力は認めてたし理解もしてました。 でも…いや、だからこそ最近の「男の娘ブーム」は、何か違うと感じます。 内容自体はずっと変わらない物に流行り廃り…評価の手の平返し…。 吉野家コピペ風に言えば「お前、男の娘って言いたいだけちゃうんか」というような人が増えたようににしか見えないんですよ。もう見てらんない。 電撃G'sマガジンの『ウルトラC』をあんな短命に終わらせた世間に何がわかる。 僕なんてシスプリが流行ってた頃から「白雪ちゃん辺りがさ、実は男の子でしたとか設定があったら逆に萌えるよね」とか言ってたぞ(それはそれで問題だろ)。 「男の娘ブーム」はむしろ、僕の中では現代の萌えが本末転倒の道を歩んでいるという状況なのを語るのに最も代名詞として挙げたい位の典型例です。 男の娘に次いで酷い状況なのが、擬人化、邪気眼、百合辺りのブームでしょう。 …それぞれの属性を本当に持ってる人なら、状況は言わなくてもわかるよね。 全ての萌え属性…に限らず、オタク界全体に言えそうなことだけど…。 本来なら「辿り着く場所」だった世界が「目指して来る場所」となるように、お膳立てをされる時代になってしまったというのが一番根本的な問題だと僕は考えてます。 げんしけんで言う「オタクってのは、なろうとしてなるもんじゃない」に近いかな。 そりゃ数多の部分が本末転倒もするよ。 男の娘、擬人化、邪気眼、百合辺りにダメージが特に大きい理由は、それらが本当に自分の足で辿り着かなければいけない要素が強い世界だから。 「これこそが俺の求めていたもの」という歯車の噛み合う感触を、自分の中に本気で実感できてこそ、初めて辿り着ける場所に無ければいけなかったんだよ。 どんな属性も『造語』である以上「やっちゃいけないこと」は厳密には存在しない。 誰が見ても「レズ」と言うような男性向け作品を「百合」と言い張ることも… 男の娘と女装少年とTSなんかを混同することも… 「サザ○さんは魚介類の擬人化」とか言い出すことも… …湾曲解釈の限りを尽くせば、何をやってもOKということになる。 では何故、今まで属性というカテゴリが無事に存在できていたのか。 それは「やっていいか否か」でなく「それがある意味を台無しにさせない」という意識の方を中心にして回るべきものだと皆が理解していたからなのだ。 属性の定義が「間違っている」と言われ問題に挙げられるような作品は大抵、何処が間違っているか以前に「やっていい事か否か」を基準に企画が進んでいることが既に問題視される点となってるコンテンツばかりだ。 本来なら説明無しでも感覚を共有し合える人達しか必然的に来ない世界だったのが、世間から注目されるようになったことで定義の明文化を迫られ、あーでもないこーでもないって迷走してる状態なんだよな。どのジャンルも。 そもそも『萌え』って単語自体、他の言い方では説明できないからこそ生まれたのに、なんか知った風な人に勝手な定義を決められてドヤ顔されてる昨今です。 (…造語って、萌えに限らず皆そんな感じだけど) 自分の好きな属性が無駄に流行っても、「わかってない人」ばかりが押し寄せてくるどころか、そういう人たちに限って声がでかくて、気分悪くもなりますよね。 本当に目指したかったのは「最低限わかってくれる人」で回せる最大値。 …って声に出すと、懐古主義の老害の選民意識みたいですねorz… 実際に表立って問題視してしまう風潮になると、今度はそれに便乗して「俺ルール」の押し付け厨が氾濫する問題が起こってしまうのも事実なんですが(汗 「オタクブーム」「萌えブーム」に喜べないことは決して恥じることでは無い! 表層だけを追って喜ぶ層なんて「うはw オタクな俺やべぇ! また新たな悪趣味、開拓しちゃったかな~」とか言って喜んでる連中だけだ! (既にそういう人達の方がオタク人口の大半を占め始めてるのが問題だけど) 「ブーム」なんてもんは、鉄を熱い内に打ちたがる人種だけが気にすればいい。 オタクってのは、熱くない鉄でも打ち続けるような人種が居て良い世界だ。 鉄が熱くなるまで…いや、熱くならなくても打ち続ける! 非現実の世界を求める冒険者が、現実世界に肯定される必要なんて無いのさ。 ここで僕達が何かを求めて広げるのは『イカロスの翼』なのだから。 きっと今日も誰かが…呪われた魂を翼に変えて羽ばたこうとしている…。 |
昨年はやたらと話題に挙げた、俺ツインテ。
最後までとても面白かったです。 でも終始、主人公がツインテールを本当に好きな人には見えませんでした。 「ツインテールを裏切った」以前に、元からツインテールを好きな自分が好きなだけだろうと心の中で横槍を入れずにはいられませんでした。 主人公というよりは原作を描いている人自身が「何かを好き」をテーマにした作品を描くのに対して、その肝心の「何かを好き」って一体どういうことなのかっていうのと真剣に向き合った経験が甘いのかな? …とすら思いました。 めがねっ娘属性も待遇が良かったのは嬉しいんだけど、いまいち我々の琴線に触れる所までは残念ながら届きませんでした。 めがねっ娘好きにも色んな流派があるから一概には言えないことなんだけどね。 でも、あそこまでめがね属性を押してくれた事には素直に喜びました。 『めがね』って消え行く属性なんでしょうか? そんな発言を聞いた瞬間、僕の目には「我々がいる限り、めがねっ娘は不滅です」と言ってる「めがねっ娘教団」達の姿が見えました。 それと安直に「レンズからビーム」とか出さずに、鞭で8の字とか色々考えてたのに、いい意味で意地を感じました。 三つ編み→合体バズーカという発想も、見てて本当に感激しました! 公式設定を読んでみると、ツインテと三つ編みの共存について悩むキャラが居たりと、三つ編みもなかなか高待遇な属性になっているようで…。 ツインテと三つ編みって合わせられなくもないけど、個人的には三つ編みを合わせる髪型なら断然、ルーズサイドテールの方がいいなーと常に思ってます。 終盤の方は、幼馴染の子の株が急上昇でしたね。 女の子の体になってしまった主人公の世話を焼く姿は、幼馴染属性どころか姉属性の人の心までをも動かしてしまっていたのではないでしょうか。 そんなアニメ終盤の最後の敵の属性は…男の娘。 正直、現代のお膳立てによって作られた「男の娘ブーム」は邪道であるとすら主張する僕にとっては、危険な予感しかしなかったぜ。 …そして実際やらかした。あのアニメは、何でいちいち地雷源に突撃するんだ? それはともかくアラクネギルティさんのデザインはカッコよかったと思います。 蜘蛛モチーフのキャラがパワーアップ…と考えると、仮面ライダー剣でレンゲルだけがキングフォームとか無かった事へのリベンジみたいに見えて嬉しかったです。 刀剣での攻撃方法のデザインは、見ていて『ガングレイヴ』のベア・ウォーケンさんの最終形態を思い出しました。 最後に自分の目から見て「やらかしちゃったなぁ」と感じた部分をまとめてみた。 巷では作画のことばかり話題に出てるけど自分にとっては、こっちの方が重要。 ・ツインテールの定義…自分の目から見て主に気になったのは、こんなとこです。 別に俺ツインテが憎いわけじゃないからこそ残念に感じちゃった部分です。 決してアンチとか属性警察というつもりはない。 |
僕の中の2014秋季のNo.1アニメは、『天体のメソッド』でした。
続く2番目と3番目も同じ日曜日のコックリさんとGF仮です。 更にシコリティ部門のNo.1は、おへんろ。なんという曜日の偏りぶり。 天体のメソッドを「ノエルちゃんが可愛いだけのアニメ」と言ってる人も多かったけど、僕の中で一番可愛かったのは、柚季ちゃんでした。 ああいう根は純真なのに空回りしちゃう子って見てて何とも説明し難い気持ちが湧いてくるんですよね。いつものブヒとはなんか違う何か。 もこっちや花木優香ちゃんにも同じような魅力を感じてきた。 放っておけないというか、目が離せないというか、何かやらかしちゃった時には「根は悪い子じゃないんですっ!!」とか言って庇う人になりたくなるような魅力。 (どんだけ気持ち悪い目線でアニメを見てるんだよ) 「お願い! 嫌な子になる展開はやめて」と一人でTVの前で祈りながら見てました。 実況スレ見てても、序盤では叩かれてる一方でとても悲しかったです。 懸命に「根は絶対に悪い子じゃなから!」と心で反論せずにいられなかった。 (「お前こそ何を知ってるんだ」と自分で自分にツッコミを入れつつ) 「プロ市民」と大多数の人に通称で呼ばれてたし、そう呼ぶ気持ちもわかるけど実の所、そういう人種とは逆な心根の子にしか見えなかった。 汚い大人みたいに、利権やら私利私欲の問題で動いてたわけじゃないし。 卑怯な真似や同調圧力を利用とか絶対にできなさそうな子じゃないですか。 円盤反対運動をしていたのは、無駄な行動をしたり、悪者になる事で自分を傷つけ続けてなければならない程、強い自責の念があったってことじゃないかな。 円盤に全ての責任を転嫁して逃避してたという解釈も多かったけど、それは少し違うと思うんだ。正しい行動をしていたわけじゃないのは、どの道事実だけど。 円盤を呼んだのが乃々香ちゃんの責任だと判明した時も、周りの子を上手く味方につけて乃々香ちゃんを追い詰めることだってできたのに、しなかった。 自分の意地に周りを巻き込まないように、あえて孤立したりもしてた。 ノエルちゃんにはギスギスした雰囲気が及ばないように気を使ったり、辛く当たりそうになっちゃっても躊躇できてた。 確かに多くの人に迷惑はかけてたけど、誰かを傷つけようとはしてなかった。 むしろ誰かを傷つけてしまう位なら自分で一人で傷つこうとしてたように見える。 (そんな純粋な子が傷つく姿は、見てる方だって傷つくんだけどね) 柚季ちゃんも自分が傷つけば、それが辛い思いになる人たちだって居ることに気がつけなきゃいけなかったんだけど、壁は簡単には崩せなかったんじゃないかな。 それが乃々香ちゃんの強い思いによってこじ開けられたってことでいいのかな。 あのままだったら下手したら自己肯定できない子に育っちゃってた可能性もある。 そう考えると、天体のメソッドって本来のオタク向けな要素が深いのかもね。 オタクって本来、自己肯定できなくて世間に馴染めない奴も多かった世界だし。 ネットで誰かが、天体のメソッドはリア充向け寄りなアニメだと言っていたけど、全然逆では? と思ってた。あのキャラたちの不器用さはリア充には理解できないだろ。 しかもその人、非リア向け寄りなアニメの例に俺ツインテを出してたんだけど、本物のオタクはむしろ、あのアニメの落ち度こそ見過ごせないだろう。 柚季ちゃんの不器用可愛さは、温泉回ですら温泉シーンそっちのけで悶えるレベルでした。エヴァのトウジみたいな事言い出すシーンや冒頭でのすれ違いとか。 勿論、温泉シーン含め他のシーンも全て十分に堪能できた回だったけど。 天体のメソッドは、柚季ちゃんに限らず他の子も全員みんなどっか不器用さがあるので、不器用萌えの僕は終始胸をキュンキュンさせられながら見てました。 みんな本当はいい子なのに、すれ違っちゃったりするから、見てて胸が締め付けられたり、すんげー本気で感情移入して見てた。傍から見たら相当なバカだな。 話全体はいわゆる「無駄に話をこじらせて無理に展開を盛り上げようとする」系統に分類されちゃうのは否めないと思うけど、それを補って余りある程に「愛おしさ」に心を支配される幸せをくれた素晴らしいアニメだったと思う。 もしこれを茶番と呼ぶにしても、「良い茶番」と言わせていただきたい。 …きっとこういう感想になってしまう奴を世間では「チョロい」と言うのだな。 個人的な予想としては、汐音たんのエピソードの後に、こはるちゃんのエピソードもあるのかなと思ってたけど、そんなことは全然なかったぜ。 大人しくしてるように見える彼女こそ、実は心の奥底に一番でかい闇を抱えてましたというような、真のラスボス展開とかありがちかなーと思ってたんだけどな。 こはるちゃんは最後まで空気普通にいい子でした。 とにかく、みんな可愛いかったです。 みんな可愛い! みんな可愛い! みんな可愛い! みんな可愛い! みんな可愛い! |
GF仮が相変わらず『美少女動物園』の代名詞扱いされてます。
番組終了した後の今でもよく引き合いに出されます。 僕の目には動物園というよりむしろ「ゾウとライオン戦わせよーぜ」的なノリに見えてたのですが(パズルとして楽しんでたなら『ばくばくアニマル』と言うべきかな) あのアニメ、個人的にパズルとして楽しんでるとずっと言ってましたが、作ってる側もそういうつもりだったのかも。つまり僕の楽しみ方は間違って無かった? 第七話のキャストで偶然なのか「織」という字が縦に3つ揃ったりしてたし。 (しかも麻雀で例えると三色同順みたいだと思った回で) それにしても途中から気になりだしたんですが、あの学校って留年したらどうなるんですかね。サザエさん時空でも留年確定という設定は年内に決まるんだし。 制服は新たに買うのか、留年組だけ違う色の制服で授業受けるのか。 あと学校敷地内全体を上空から見たような図のシーンも欲しかったなとも思う。 見落としていただけかな? でも甘城ブのように頻繁には出てなかったですよね。 場面が変わる間にキャラがどんな移動をしてるかを自動的に想像させられた方が、集中して視聴できたと思うんだ。 実際に校舎内の構造も把握できる度に嬉しかった。 デンキ街の本屋さん、そんなに思い入れも無く何となく見てたのですが…。 最終回に限って、もやもやした疑問が残ってしまった。 終盤シーンで、舞台の本屋は朝礼時にM字開脚やアヘ顔とかやってたけど。 何で序盤では、そんな職場の同僚に自宅のエロ本見つかるか否か如きに、うみ君は動揺してたのか? 先生さんが尻クッションを見て驚いた理由も、殺人死体の一部にでも見えたからとかそんなじゃないのかと解釈してしまう。 まぁ若いと色々と過剰に意識しちゃうんでしょうな。 僕なんて「エロ本ごときが何だよ…黒歴史ノートとかエロ絵の練習した痕跡データが見つかるダメージに比べたら大したことないだろ」とか呟きながら見てました。 同じ最終回、お花見のシーンの元ネタ探しは面白かったよね。 ちなみに自分は画伯の格好を見て、元ネタがあるのに初めて気が付いた。 先生さんが七森中の制服を鬼畜和菓子の格好の人に脱がされてたけど、その下の格好にファンタジスタドールの素整体を期待しちゃったのは僕だけでいい。 分割2クールだったウィクロスも終わりましたね。 もうルールも何もあったもんじゃない終わり方だったけど、その開き直りすらも逆手にとった上手いまとめ方だったと思う。 実際にこういうゲームの楽しみって「無限の可能性」を広げていくことだもんね。 ルリグって人間に戻ると髪の色と長さがプリキュアみたいに変わるんですね。 わかり辛いから、ゴーカイジャーみたいにルリグ時代の姿を一瞬被せて欲しかった。 緑子さんの髪型もルリグだった頃は相当無理してたのかな? でもひっとえーちゃんとイチャコラさせる分には、あのワイルドな髪型の方が絵になりそう。 あのラストは、後日談みたいな妄想が止まらないよね。 薄い本が少なからず溢れるのに期待してます。 ひっとえーちゃんなんか緑子さんとデートする時には、ルリグ時代のコスプレ衣装を無理やり着せてハァハァとかしてそうだよね。あの子、ムッツリそうだもん。 そういう薄い本を下さい。お願いします。この通りです。 ところで何度見直してもEDに二代目ふたせ文緒のルリグが見当たらない…。 アンさんだっけ? 女子大生の卒業式みたいな格好のルリグ。 ちなみに冬コミで買った本にあった相性診断を試したら自分はこのルリグだった。 クロスアンジュは2クールなんですね。 内容も前半とは一転して、後半はいよいよ話の核心へと迫りそうですね。 前半の人種差別展開は本当に辛かった。でも目が離せなかった。 自ら喜んで見に行くアニメではないのに、気がつくと引き込まれてるアニメ。 ヒルダさんのお母さんの言動が、かなりリアルに障害児を持ったり死産を経験した親の反応っぽかったのも見てて辛かった。 (でも辛ければ辛いほど、作品としてよく作り込まれてるということでもある) その後、檻の中で家族に見捨てられる悪夢にうなされるシーン。他の獄中を扱った作品でもよく出てくるけど、割とガチで見る夢だったりします…。 そして痛姫様と結ばれる友情。名言「友情とは成長の遅い植物である」を思わせる。 ゲスな一般の人たちも結局、自分含めてゲスな人間しかいない世界で窮屈さや恐怖とかと向かい合いながら一生懸命生きてきた結果が、あの世界なんですよね。 まるで現実世界みたいじゃないか。 そんな世界の真実が明らかになる後半クール。果たしてどうなっていくのか…。 2015年も明けてから早いもので、そろそろ1ヶ月が過ぎようとしてます。 でも寒さのあまり、アニメの感想書いて垂れ流すのすらも精一杯です。 今年もこんな感じで、4クール分のアニメの視聴や録画整理に追われながら、疲れた体を引きずってコミケとか何度か行ってる間に、終わっちゃうんだろうな。 自分自身の自発的な行動が何一つできません…。 |