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『バブみ』という単語が流行ってるらしい。
(詳しくはググるといっぱい出てくる) 普及されすぎると、間違った使い方をされ始めるんだろうな。 (僕もそんなに厳密に理解出来てるか怪しいけど…) 平仮名の「おっぱい」が今じゃエロ用語のように扱われているみたいに! 調べてみると、主な例えに仮面ライダー555の草加さんが使われててワロタ (でも草加さんレベルになると、もっと根本的な構造から違う気もする) 555風に説明すると、↓こんなニュアンスなのかな? 「知ってるかな。バブみっていうのは、呪いと同じなんだ。 途中で挫折するほどキモいから、ずっと呪われたまま…らしい。 流行らせた人の罪は重い」 「おい知ってるか。バブみを求めるとなぁ 時々すっごくキモい奴になるが、時々すっごく気持ちよくなる…らしいぜ。 俺には嫁が居ない。でもな、妄想(ゆめ)でオギャることは出来る。変態!」 定義的には「年下の女性」ってあるけど、それは純粋である事が絶対条件ということを表すのかな? 実質的には。 人って年取れば取るほど色々と計算で見るようになっちゃうから、相手が大人キャラだと防御反応が出ちゃうみたいな感じとか。 それとも、禁断の領域に踏み込むことで幻想度を上げてるとかあるのだろうか。 …いやもっと単純に、オタクの平均年齢が上がった影響ってだけかも。 年下の女性にも母親を求めるのが可能という認識が広まったメリットは高い。 今までママキャラ界は、リアルな熟女や人妻を描かなきゃ駄目だみたいな層が居て割と不愉快だったんですが、一気にギャフンと言わせられた気分だ。 「わかってないなー」ってドヤるタイプに「一番わかってないのはお前だよ」って事実を完膚なきまでに突きつけれると最高にスカッとしますよね。 ところで『バブみ』の定義に「叱られたい」というのは入るのだろうか。 主に「甘えたい」みたいな方向を指しているようなのだが…。 例えば、ラブライブのエリチさんやプリキュアの海藤みなみさんに母親のように叱られたいって願うのも、広義の意味では含めていいの? 有名な同人誌ではフリーザ様が諸星きらりさんに叱られてもいるし、シャアもララァに叱られてる(諭されてる)と取れるようなシーンもあるから、いいのかな? バブみとは少し違うけど、類似的な願望ということになるのだろうか…。 『バブみ』って単語。そのものは本当に見事だと素直にそう思う。 バブみを取り扱った素晴らしい作品が世に溢れてるのも嬉しい。 でも、そういった用語が造られたり流行ってる現状に対しては内心、危機感を感じてる部分もあったりします(また僕の勝手な杞憂だと思うんだけど)。 「痛い人、みんなでなれば怖くない」 ここ数年、こういう風潮がオタク界全体で強くなっているように見えます。 ですが「母親を求める」というジャンルだけは、それをやってしまうのはマズい結果を呼んでしまう可能性もあると思うんです。 女性に母親を求めるようになるっていうのは、取り返しのつかない呪いに繋がることでもあるんです。僕が誰よりもそうだから、人一倍わかる。 実の母親以外の誰かに母親を求めるってことは、すべからく「現実に逆らう」という罪なんです。その罪の代償として心が呪いを背負い続けるようになる。 女性に母親を求める奴になんて、ならなくて済む人は、わざわざなる必要ないと思うんです。女性を女性として見れるなら、女性を求めた方が良い。 もし実の母親が嫌いでないなら、実の母親に母親を求めましょう。 確実に言える。幸せにはなれない世界だと。 だって母親ではない人は、母親ではないのだから。 ララァに母親を求めたシャアも、真理に母親を求めた草加雅人も知ってて求めてたんだろうなって思う。だから最後は死んで滅びたんじゃないかな。 (555の井上敏樹先生は滅びの美学好きだから、あながち間違ってもないかと) 内容自体は実はそんなに新発見された物というわけでも無いんですよね。 昔から知ってる人は知ってたけど口に出せなかった物が、集団心理の後押しで人目に露見するようになったって方が近いかと(バブみに限った話じゃないけど)。 『バブみ』を最初に支持していた人達にとって、この単語が拡散されてる今の展開は、幸せなのだろうか 常人には理解できない概念(良い意味でなく病的な意味で)が、常人の目に晒されているという訳なのだが…。 絶対にわかってない人たちが誤用し出す 既に「バブみ警察」なんてのも存在するみたいだし。 「バブみって、女の母性本能を刺激してオトすってことだろ」とか言う奴が絶対に出てくる。僕自身が周りからそう誤解されたことがあるからわかる! 割とありそうな展開は、腐女子が♂キャラに対して使いはじめること。 腐女子の世界でも母性ポジションのキャラ(♂キャラなのに)ってのは結構存在するから間違ってはいないんだけどね。 男から見たら、自分たちのやっていることを客観的に見せられたような気分になってドン引きするハメになると思うんだ。 きっと、ハピレスの追っかけとかやってた頃の自分だったら、「バブみ」という造語の誕生を喜び、馬鹿みたいに連呼しまくっていたと思う。 今は「あの頃に求めていたのは何だったのか」とか考えるようになって、色々と物の見え方も変わってきてます。 「バブみって本当に上手い」と僕が感じる大きな理由の一つ。 それは、泡って意味の「バブル」を連想する所。 (最初に造った人は、そんなの想定してないと思うけど) 泡のように柔らかくて膨らむような優しさにずっと包まれていたいと願うのだけれど、弾けて後に残るのは気持ち悪い自分だけ…。まるでマッチ売りの少女。 ママ属性って、最後に辿り着く先は“滅びの美学”だと今は思ってます。 『イカロス神話』に例えられるのが一番似合う属性なんじゃないかな。 皮肉にも、お母さんは「家族の太陽」って昔から言われてるしね。 自分もそこに行きたいなんて憧れさせる反面、自分をそこに置くわけにはいかない、そういう世界だからこそ愛せるんだという葛藤と向き合う世界なのです。 (そういう意味では百合とかとも共通するものがある世界なのかも) 世間認知を得た萌え界は今、集団心理みたいなもんが大きく働く時代。 …でもそれで「必要な痛み」を和らげてしまったら、本当に到達する場所を間違えてしまうジャンルってのもあるんじゃないかなって思うんです。 キモくなること、痛い人になることがステータスみたいに扱われてしまうと、そもそもの在り方が成立しない。 本来なら自分のキモさとは、孤独に戦い続けるものだ。 そういう苦悩を軽く見られてるみたいで悔しいという気持ちも…ある。 母親を求めることに限らず、“萌え”そのものが呪いなのかもな。 最近はその「呪われる」ってことをカッコイイと勘違いした人達が萌えの世界に入って来ることが多すぎる。そんないい世界じゃないのに。 …とまぁ、なんか色々と考えてしまいました。 実際は「ごっこ遊び」の範囲に留まってるかもしれない事に対して、真剣になりすぎですね。ママ属性は僕のフェイバリット属性の一つなんで、つい…ね。 ここまで書いた意見は本当ならば、こんな日記じゃなくてもっと自己表現となるような創作の中で描くべきだと思ってはいるんですが…。 いやマジで描きたいし、少しづつでも描こうとはしてるんだよ。 でも思うように進まなくて、追いつかねぇ! プロットだけは幾らでも浮かぶのに、そっから先が具体的になってくんない。 (こういうのって誰でも一緒か) ちなみに… バブみとほぼ同時に注目されてる新語、『尊い』。 こっちは特に関心も何も無いです。 だって『萌え』の意味に本来なら含まれてる内容そのものだから。 萌えの方が注目されすぎたせいで、勝手に定義を曲げられちゃったという方が正解なんだよな。だから尊いも拡散されれば同じようになるだけかと…。 新語が作られたって結局はイタチごっこの世界だよ。 PR |
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