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擬人化キャラには2通りある。
「完全にネタや作品のアイディアから生まれたキャラクター」と、 「誰かのイマジナリーフレンドとして生まれた存在」だクマ。 僕にとって擬人化キャラ達は、かけがえのない友達でもあるんですよね。 自分にしか見えない存在だけど。 僕の擬人化マニアとしての最大の武器は“孤独を知ってる”ことかも知れない。 だから「孤独だけを強さにする心を痛い程わかっている~だからいつでも一緒に戦うのさ~」と歌ってくれるイマジンのようなパートナーが欲しいのです。 「オリキャラ、コスプレと擬人化は違う」 と散々言ってる僕ですが、僕の擬人化も厳密には擬人化というより、九十九神の萌えキャラ化と言った方が正しいかもしれません。 食品なんかでも、擬人化キャラが直接食べられるんじゃなくて、その食べ物の存在という事実の化身がキャラだし。 ただ、オリキャラやコスプレは元の人間という帰る場所があるのに対し、九十九神は元ネタが帰る場所であり生まれた場所なので、擬人化と呼んでも差し支えないだけの密接な関係性は強いと思うのです。 まぁ何が正解かなんて言い出すとキリが無いんだけどね…。 無機物を擬人化するタイプでも九十九神を意識しちゃう人は、動物とかの擬人化はできない人も多いんじゃないかと思います。元々魂ある存在だから。 なので「無機物まで擬人化しちゃう連中」という声を耳にするたび、違和感を感じてたりします。 しかし九十九神と考えてしまうと、九九の擬人化は「九九の九十九神」という非常にややこしいことになってしまうな。 なぜ今回こんな話をしたのかというと、単にこの記事が99番目なので、九十九神の話でもしようかなと思ったわけです。 次は100か。百合の話にでもなりそう。 PR |
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