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第七話の関羽フィギュアのシーン。
まさかあんなアホなことばっかりやってるアニメ観て感動のあまり泣くとは…。 小さい頃に観た『宇宙船サジタリウス』で、ラザニアの人が機械の歯車に宝石を放り込むシーンを思い出しました(超うろ覚え)。 本当に大切なのは、関羽フィギュアそのものよりも、限定フィギュアが欲しくなる程に関羽という英雄を愛する理由、そしてそれを全うできる心と言動。 僕も日々のアニメの視聴やグッズ収集に執着し過ぎるあまり、好きなキャラに顔向けできないような生活になってるかもなんて考えさせられました。 このままではその日その日の時間どころか一生をドブに捨ててしまう。 物欲よりも魂。僕も少しはガクトさんを見習わなきゃな。 放送日がコミケの翌週だったし、余計に強く思いましたよ。 第七話の録画は永久保存しよう。物欲や執着で迷ってしまう度に見直すんだ。 (…そしてまた録画の整理で人生の時間が無駄に過ぎていくのだった) でも案外ガクトさんの胸中的には、本当は入手時の満足感でお腹がいっぱいだったからできた行為だったりする部分があったのかも…。 実際に箱から出してた辺り、保管派というよりは実用派。 抱きまくらなんかでもそうですが、この両タイプは大分違うんですよ。 同じ週のうまるちゃんも、フィギュアの箱を捨てられたのに中の別パーツの事しか気にしてなかったようだしなぁ。 僕が同じ立場だったら箱もセットで考えるから出しっ放しとか絶対しない。 あの回のうまるちゃんは見てて心底、ガクトさんを見習えと思った。 「我が趣味可愛さに兄を売ったとなれば、それこそミグ様に顔向けできぬでゴザル」 2週に渡って引っ張ってた、アンドレの「うっかりお母さん現象」。 (もっと引っ張るのかもしれないけど) これも面白かったと同時に、深く考えさせられるものがありました。 Mっ気と、女性に母親を求めちゃう部分って、どっか根の部分で繋がっているのかなーと考えさせられました。僕も両方あるので。 依存症みたいな部分があるというか…。実際に禁断症状みたいになってたし。 ただ、そういう面のある人の描く絵って、作中の「ボクのどれい日記」内の絵みたいに上手くはないと思うんですよ(こんなとこでマジに考えるのもどうかと思うけど)。 描く本人の情緒不安って、そのまま絵の線やデッサンに出てしまうんですよね。 現実では実際に、そういうタイプの人だけに人気の作品は、同人誌の数が少なかったり(原作の人気の割には)、あっても絵がイマイチだったりします。 シンゴの「乳首を見ちゃった罪」の重さ。 最近の乳首安売り状態のアニメ界が嫌になってきてる心にグッときました。 (監獄学園自体も乳首商法らしいけど) この「乳首を見ちゃった」ことの重さのアピール自体も何気に大きいですよね。 どういう価値観が基準の中でキャラたちが動いてるのかを見る側の中で統一できる訳だから。多分こういう気遣いなんかが下セカとの差なんじゃないかとも思う。 シンゴが何故、いちいち生乳首を見たことまで語ってたのかも注目したい。 単なる話の都合や、何処か自慢したい気持ちがあっただけという理由だろうか。 それとも彼自身も生乳首を見たことがどれだけのことなのか確かめたかったという、この年頃らしい不安定で冒険的な心理があったのか…な? やっぱり。 現在、第八話まで放送を見た訳ですが、全体を通して思うことは…。 どの登場人物も何かを企む時に方法がいちいち回りくどいですね。そもそもの監獄というシステム、脱獄計画の一つ一つの作戦、そして他の人物の行動も全て……。 統一されたように回りくどい。 その回りくどさのせいで、どのキャラが何しても「本当は不器用なだけの人なのかな?」って気になってしまうんですよ。そして、どのキャラも憎めなくなる。 計算か偶然かわからないけど、上手く出来てる。 PR |
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