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なんか昨日、例えにキン肉マンの話を出しちゃったからついでに話すけど…。
最近の世代の擬人化と、昔の世代の擬人化の間に、感覚のギャップ差がある理由の中に『キン肉マン』の存在って大きいかなと、昔以上に思うようになりました。 擬人化といえば「八百万の神」とか「日本古来の云々…」とかよく言われます。 ですが僕としては、そういうのは半分ネタだったり共通部分を例えに使う場合があるという程度で、さすがに直接的に話が繋がってるとまでは思えないんですよね。 むしろ、キン肉マン世代が「オリジナル超人」を考えたりしてたノリの延長こそが今の擬人化に繋がってると考えた方が自然とすら思っている位なんです。 でも去年の夏コミの情評ジャンルで擬人化の研究本を発行なさってたサークルさんが居て、実際その本を入手して見たのですが……。キン肉マンの話題は皆無。 (それどころか、萌え擬人化界にとって大きな分岐点だと僕が思ってた『OSたん』の話題も全く無くて驚きました) ……これは世代のギャップなのか? 僕の感覚だけが今までおかしかったのか? 萌え擬人化の世界に『八百万の神々』という単語が出てくることで、擬人化はそれの派生と考えてる人も最近多いようなんですが…。 本来の捉え方は逆なんじゃないでしょうか。 むしろ「何かをモチーフにする」という事柄の方が、八百万の神々の話みたいな方向に向かって進んでるのを例えて、名前が出てくるんだと思います。 八百万の神の方から擬人化に向かってるとすれば、それこそ今のキン肉マンに出てくる『あやつ』みたいなイレギュラーな存在と考えることも出来る。 擬人化の世界に限らず、造語や概念って元々は目に見えない共通意識で繋がってる人たちの間で通じればいいものとして作られます。 だから急に多くの人に注目されると、定義の具体化に迫られるんですよね。 萌え擬人化というのが最初に出来た頃に、多くの人たちが共有していた意識。 そこにはキン肉マンの超人やドラゴンボールに出てくる亜人とかを見て育った世代が必然的に持ってた基準の影響も大きかったんじゃないかと思ってます。 話は逸れるけど、もう少し上の世代だと「十二星座の擬人化」というのを見かける度に、まず自分の星座よりも蟹座の扱いをチェックしてそうな気がする。 十二星座擬人化って何気に相当な数を見かけますけど、あの作品から生み出された「星座カースト」を、いつか擬人化が打ち破れるかだけ注目してます。 自分も同人誌を発行したり出来るような力があるなら、萌え擬人化への自分流解釈をまとめたようなのを発表してみたいものです。 調度良く、擬人化を擬人化したキャラもマスコットに居るし。 念のために言っとくけど、別に『キン肉マン』を擬人化ジャンルの作品だと言ってる訳では無いですよ。くれぐれも誤解しないように。 ただ、何かをモチーフにキャラを作るということに特化した有名作品が過去にあったという事が、今の萌え擬人化にも大きな影響を与えているということ。 ちなみに『キン肉マンレディー』という作品は僕はあまり好きではありません。 最近の「何でも美少女化」しちゃう風潮が、ああいう形でみんなの少年の頃の思い出にまで手を伸ばしちゃうのは何か違うかなと思ってしまう。 追伸:そういやキン肉マンが擬人化の例えに出せるということは…。 前に『艦これ』の話題で言ってた、戦艦のパーツ外すと普通の女の子になるって設定をブロッケンJrに例えるっていうのは、あながち不正解でもないのかも。 PR |
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