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うぽって…毎週見てるんですが、5話目にして疑問が湧いてしまった。
悪者みたいな役割の擬人化キャラが出てきたので。 こういう展開で話を盛り上げようとするのは、萌え擬人化としてどうなのかな?という。 余談だけど、この疑問を抱いた瞬間にたまたま録画が誤作動で止まった。 (『じょしらく』の時間変更の関係らしい) それだけの理由がある銃なのかもしれないし、来週の展開を見ないことには、何とも言うべきではないのでしょうが。 できたら誰も悪者にならないような茶番で締めて欲しいなと個人的には思います。 たまたま今週の『うぽって』を例に出していますが、前々から最近の萌え擬人化界の傾向を見て思っていたことです。 いい機会なので言わせて頂きます。 萌え化ってのをする以上は、“萌え”という自分が作ったわけでもなんでもない伝統を扱うわけです。 だからその「美しい夢の世界」という看板に泥を塗ってしまうような行為は、軽く考えてはいけないイレギュラーと言っていい程のレベルと認識すべきだと思うんですよ。 本当に良い萌え擬人化作品は、それを意識したが故に自縄自縛な制限が掛かったとしても、その中でアイディアを絞って面白い内容を生み出しています。 むしろそれにすらも楽しみ、喜びを感じているようにすら見えます。 萌え擬人化は、元ネタへの知識なんかも大事ですが、それ以上に「萌えへの理解」ってのも中途半端にして欲しくないと思います。 だってそれが無かったら、萌え化した意味が無くなるじゃない。 萌えの部分が、ただの「客寄せパンダ」になっちゃうよ。 擬人化に限った話ではないですが、萌えブームのせいで最近その辺りに理解を傾けてくれない作品が増えたように思えます。 “萌え”を扱う以上は、萌え作品として冗談でもやってはいけないことの分別は、意識して欲しい。 (その基準は人によって様々に割れてしまうとしても) ちなみに私が薬擬人化を綺麗事の世界観(「薬は人を救うもの」とか)で貫きたいのも、そんな理由が一番です。 薬への思い入れだけが理由だと周りには確実に誤解されていますが。 そう、私は心の薬も擬人化も…そして萌えも愛しているのです。 当然ですが自分の勝手な好みなので、他の方にも求める気はありません。 オタク趣味というのは今まであまり強い立場ではありませんでした。 それ故に本来、萌えが絡まない物事を萌えで表現するということにはどこか「子供のイタズラ」のような要素があるんじゃないかと思うのです。 しかし「子供のイタズラ」というのは大人の力で行えば、時として暴力になります。 暴力という言い方は悪い言い方かもしれませんが、例えるなら「挑戦する立場」の人みたいな意気込みを「挑戦される立場」の人が口に出したら、それは相手を脅してるように聞こえてしまうのと同じです。 商業物への進出、情評系レベルの知識なんかは、明らかな「大人の力」です。 だからこういった関係の方々には、どうか大切なことを見失わないで欲しいなと特に思ってます。 ギャグのためにキャラが崩れても最終的には萌えのベースは崩れない…。 ミルキィホームズやギャラクシーエンジェルみたいなのが、個人的には萌え擬人化の世界観としても理想かな? PR |
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