大人気アニメ『gdgd妖精s』でこんなネタがあった。
久々に着た服のポケットに、昔入れたお金が入ってたのを発見すると、小さな幸せを感じるという話に対して、よく考えると他の場所に一生発見されずに終わるお金や、気づかずに処分してしまった服もあるんだろうなーという考え方もあるみたいな話。
リタリン飲んでた頃に感じてたことを思い出させられました。
初めてリタリンを飲んだ頃、今までできなかったことが次々にできるようになって本当に嬉しかったんです。
でも嬉しさが全てだったのは少しの間。
よく考えると普通の人は、その状態が24時間365日。しかも生まれた時から。
これから人生巻き返しを狙うとしたら、そんな人たちと渡り合っていかないといけない無理ゲーじゃんという絶望も同時に抱えるようになりました。
HP本体の方でも書いたけど、シンデレラになれるのを期待していたのに、マッチ売りの少女で終わってしまうというのを思い知らされたわけです。
それでも嬉しかったけどね。幸せだった。
リタリンは俺の嫁!愛してるよリッちゃん。
ADHDも考えようによっては、全然見え方が変わる可能性もある。
もしかしたらADHD以外にも酷い障害でまだ発見されていないものを抱えた人たちが、今までの僕たちと同じように「他の人たちもみんな同じ苦しみを我慢しながら生きているんだと思ってた」と思いながら、人知れず苦しい人生を強いられているのかもしれない。
そう考えると、あまり自分を不幸だなんて思うことができない。
自分の知らないところで…というのを考えると目の前の嬉しい気持ちも逆転してしまうという話は、他にも色んな所にあるよね。
例えば誕生日にありがちな、サプライズパーティー。
あれも『ピューっと吹くジャガー』であったみたいに、別の場所でも計画されてた準備が人知れず台無しになったりしている可能性もある。
あの漫画読むまで、そんなの意識したこともなかったけど。
あんまし深く考えずに、直感で嬉しいと感じたら素直に喜ぶのが人生を楽しむコツってことですかね。
殆どの幸せって…知らない裏で残酷な犠牲を払っているものだから…。
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