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擬人化界の中でも特殊な世界に見える、ポ○モン擬人化。
今まで色々と疑問があったのだけど、話題を追う内に話が少し見えてきた気がする。 問題は人の姿にしてる部分より、自分の使用ポケ○ンに感情移入が過ぎるあまり、マイアバターみたいに扱ってるのを擬人化と呼んじゃってる部分ってことかな? メーカーが全ユーザーに共通の版権設定を提供しているキャラなのを忘れて。 擬人化と称してても、実質的にはそのキャラを使った自分のプレイスタイルを具現化したアバターみたいなものな感じ? もしくはそういった方向性が、知らず知らずの内にごっちゃになってるとか。 元々姿形のあるキャラの擬人化なのに、デザパクだの何だの言い合ったりしている部分とか不思議でしょうがなかったのだけど、それなら合点がいく。 例えるなら、マイアバターが作れるSNSがあったとして、その中にある格闘ゲームのコミュなんかで、いつも使うキャラのコスプレをマイアバターに着せちゃうみたいな。 傍から見るとあの感覚に似てる。 パチンコ雑誌なんかで、パチンコ打ちという設定のキャラが版権物機種のコスプレをしてるのが表紙なのが時々ある。 パチンコのことはよく知らないけど、版権物の原作は知ってるという人がそれを見た時の複雑な感覚。 自分のやってきた擬人化で言うと、ぷよの連鎖の擬人化が似てるかも? でも連鎖に関しては、完全に落ちゲープレイヤーの世界が開拓していったものだと断言したい気持ちがある。伝わらないだろうけど…。 当時、麻雀の役擬人化とどっちをやろうか迷ってたけど、こっちやってれば良かったかも。でもこっちはこっちでなんか脱衣麻雀のキャラ考えてるのと区別がつかない気がして嫌だったんだよ。 当然、これから改めて始めようにも、今の時代ならもう誰かやっちゃってるよね? マイアバター要素の話に戻るけど、これは決して常に駄目というものでもない。 例えば携帯電話擬人化だと、お店で売ってる商品の状態より、持ち主が使ってからの要素から擬人化される場合の方が主流だし。 この「マイアバター要素」の許容範囲の各ジャンル内での差という話は、擬人化界が発展していく上で今後、大きなポイントになっていくのではないだろうか? 商品の擬人化ってつもりの時は、元ネタを作ったのは自分なわけでもなんでもないというのを絶対に忘れないようにしないといけないと思ってる。 薬とかMAXコーヒーとか。 だから、例え周りからは一次創作扱いされても、それに甘えず「1.25次創作」と呼ぶようにしてる。 この意識を忘れると、取り返しのつかない痛さが上乗せされることになると思ってる。 PR |
今日は年に一度の『九九の日』です。
記念に1キャラだけ追加しました。 本当はもっと描きたかったんですが、単純な計算ミスでボツになったネタがあったりで間に合いませんでした。 このまま毎年、九九の日記念に1キャラずつ増やしていけば、81年後には全キャラをコンプリートも可能かもしれない。その頃には僕は生きてないと思うけど。 2x2=4は、頑張り屋の2x4=8と対照的にマイペースって感じのを漠然と考えてました。 掛けても足しても同じ数になるってのも無駄にしたくなかった。 そして、あの漫画のイメージに引きずられないようにってのも強く意識してた。 4x4=16を擬人化した後に「4という2つの三角形を猫耳に使えばよかったかも」という気持ちも残ってまして。 それなら「4x4→しし→獅子」になる前の4になる平方数の2x2を猫にしちゃえ。 ということでこうなりました。「2→にゃん」という伝統もありますし。 4x4=16はサーファーっていうのも悪くないと思うんですよ。 この式を見ていると、4と4の部分が波に見えて、16がその横でサーフボートを持って立ってる人に見えてきませんか? 三角2つを無駄にせず、平方数の平方数なのを活かすのも外せない。 多くの人が抱く「4x4→しし→獅子」というイメージも忘れないようにライオンみたいな髪型の人種…と考えてたらああなりました。 4という数は四角っぽいイメージなのに、数字の形は三角なので扱い辛い。 この辺の数字の形の由来って何気に気になる…。 九九の表と睨めっこしながら、こんなことばかり考えているバカは、世界広しといえども僕くらいだろうな…。 九九の擬人化自体、他にやってる人見たことないし。 それにしてもwin7でフォトショ5.5の文字入力ができないのは痛手だ。 htmlファイルをブラウザ以外で開く時もめんどくさい。 win7作ったやつ、ちねばいいのに。割とマジで。 |
うぽって…毎週見てるんですが、5話目にして疑問が湧いてしまった。
悪者みたいな役割の擬人化キャラが出てきたので。 こういう展開で話を盛り上げようとするのは、萌え擬人化としてどうなのかな?という。 余談だけど、この疑問を抱いた瞬間にたまたま録画が誤作動で止まった。 (『じょしらく』の時間変更の関係らしい) それだけの理由がある銃なのかもしれないし、来週の展開を見ないことには、何とも言うべきではないのでしょうが。 できたら誰も悪者にならないような茶番で締めて欲しいなと個人的には思います。 たまたま今週の『うぽって』を例に出していますが、前々から最近の萌え擬人化界の傾向を見て思っていたことです。 いい機会なので言わせて頂きます。 萌え化ってのをする以上は、“萌え”という自分が作ったわけでもなんでもない伝統を扱うわけです。 だからその「美しい夢の世界」という看板に泥を塗ってしまうような行為は、軽く考えてはいけないイレギュラーと言っていい程のレベルと認識すべきだと思うんですよ。 本当に良い萌え擬人化作品は、それを意識したが故に自縄自縛な制限が掛かったとしても、その中でアイディアを絞って面白い内容を生み出しています。 むしろそれにすらも楽しみ、喜びを感じているようにすら見えます。 萌え擬人化は、元ネタへの知識なんかも大事ですが、それ以上に「萌えへの理解」ってのも中途半端にして欲しくないと思います。 だってそれが無かったら、萌え化した意味が無くなるじゃない。 萌えの部分が、ただの「客寄せパンダ」になっちゃうよ。 擬人化に限った話ではないですが、萌えブームのせいで最近その辺りに理解を傾けてくれない作品が増えたように思えます。 “萌え”を扱う以上は、萌え作品として冗談でもやってはいけないことの分別は、意識して欲しい。 (その基準は人によって様々に割れてしまうとしても) ちなみに私が薬擬人化を綺麗事の世界観(「薬は人を救うもの」とか)で貫きたいのも、そんな理由が一番です。 薬への思い入れだけが理由だと周りには確実に誤解されていますが。 そう、私は心の薬も擬人化も…そして萌えも愛しているのです。 当然ですが自分の勝手な好みなので、他の方にも求める気はありません。 オタク趣味というのは今まであまり強い立場ではありませんでした。 それ故に本来、萌えが絡まない物事を萌えで表現するということにはどこか「子供のイタズラ」のような要素があるんじゃないかと思うのです。 しかし「子供のイタズラ」というのは大人の力で行えば、時として暴力になります。 暴力という言い方は悪い言い方かもしれませんが、例えるなら「挑戦する立場」の人みたいな意気込みを「挑戦される立場」の人が口に出したら、それは相手を脅してるように聞こえてしまうのと同じです。 商業物への進出、情評系レベルの知識なんかは、明らかな「大人の力」です。 だからこういった関係の方々には、どうか大切なことを見失わないで欲しいなと特に思ってます。 ギャグのためにキャラが崩れても最終的には萌えのベースは崩れない…。 ミルキィホームズやギャラクシーエンジェルみたいなのが、個人的には萌え擬人化の世界観としても理想かな? |
擬人化キャラには2通りある。
「完全にネタや作品のアイディアから生まれたキャラクター」と、 「誰かのイマジナリーフレンドとして生まれた存在」だクマ。 僕にとって擬人化キャラ達は、かけがえのない友達でもあるんですよね。 自分にしか見えない存在だけど。 僕の擬人化マニアとしての最大の武器は“孤独を知ってる”ことかも知れない。 だから「孤独だけを強さにする心を痛い程わかっている~だからいつでも一緒に戦うのさ~」と歌ってくれるイマジンのようなパートナーが欲しいのです。 「オリキャラ、コスプレと擬人化は違う」 と散々言ってる僕ですが、僕の擬人化も厳密には擬人化というより、九十九神の萌えキャラ化と言った方が正しいかもしれません。 食品なんかでも、擬人化キャラが直接食べられるんじゃなくて、その食べ物の存在という事実の化身がキャラだし。 ただ、オリキャラやコスプレは元の人間という帰る場所があるのに対し、九十九神は元ネタが帰る場所であり生まれた場所なので、擬人化と呼んでも差し支えないだけの密接な関係性は強いと思うのです。 まぁ何が正解かなんて言い出すとキリが無いんだけどね…。 無機物を擬人化するタイプでも九十九神を意識しちゃう人は、動物とかの擬人化はできない人も多いんじゃないかと思います。元々魂ある存在だから。 なので「無機物まで擬人化しちゃう連中」という声を耳にするたび、違和感を感じてたりします。 しかし九十九神と考えてしまうと、九九の擬人化は「九九の九十九神」という非常にややこしいことになってしまうな。 なぜ今回こんな話をしたのかというと、単にこの記事が99番目なので、九十九神の話でもしようかなと思ったわけです。 次は100か。百合の話にでもなりそう。 |
6月21日は、『えびフライの日』なんだそうです。
wikiで調べても載っていない程のマイナーな記念日ですが、いろいろ調べてみると確かに載っているサイトも見かけます。 なんでも6が丸まった海老を表していて、21をもじってフライなんだそうです。 そもそもフライになる時のエビは、たいていは真っ直ぐな気もするんですが。 (オードブルとか高級なのは丸まってるけど) しかし偶然にもこの記念日の設定は、別の意味ではナイスかも。 時期的にヒメカツオブシムシは成虫が全滅して、次の世代のエビフライ達にバトンタッチする頃ですから。 うちのもそろそろかな?と思っているのですが、晴れた日とかにまだ生き残りの成虫がひょっこり出てきたりして、もう少しだけ初夏の風物詩の中に居させてくれます。 『シュリンプ』と『プリンセス』。 そういえば似てますね。 ヒメちゃんの幼虫がエビフライなのってダジャレだったのかも。 しかし海老って丸まるのか。 エビフライなのは、マルじゃない方なのに…。 |