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今季は「メタ視点デー」と呼んでいいと思うと前回は言ってしまった木曜日。 MXとTBSで合わせて4本もあるってことで言ったんだけど…。 フジの存在を完全に忘れてました。フジを含めると全然、当てはまりませんね。 今季にこそ、サムライフラメンコみたいのが来れば完璧だったのに…。 「裏側ネタ」というジャンルがあまりに大きくなりすぎるのはどうかと思うという意見に変わりは無いけど、面白いのは面白いし、感想もやっぱりいっぱいある。 電気街の本屋さんは見ていて切なくなるなぁ。 オタクショップの店員って、あんなにリア充揃いなのかよ。僕なんかきっといつも店員に心の中で「非リア充様、御来店~ん♪プークククス…」とか思われてんだな。 いやコミケ会場でも机の向こう側の人たちに同じように思われてるか。 非リア向けの「あるあるネタ」パートも実は、本物の非リアではなく似非非リアだけが共感するような内容ばっかりなのが更に追い討ちをかけてくる。 「おまえらキター」 ……いえいえ僕らの偽物(ごっこ遊び)です。 でも脱落したいほど落ち込み始めるタイミングで、気分転換になるシーン。 そう、先生さんの家周辺のネタです。これがあるから見続けちゃう。 市川市民(行徳だけど)として反応せずにはいられないのです。 高台から見る夜景のシーンもいいけど、駅前にある展望台も宣伝して欲しいな。 SHIROBAKO…実は全然、期待してませんでした。それはもう失礼なレベルに。 随分とネガティブな先入観でタカをくくってた気がする。 ああいうのってどうせ、まず「観るだけ側のうちらにそんなこと言われても…」ってなるのばっかりが続いて、展開がギスギスしだしたら見てるこっちまでなんか怒られてる気分になるような後味悪いパターンになるんだろとか思ってた。 気が付く引きずり込まれてて、自分でも驚いたよ。 情熱や拘りがぶつかり合うシーンでも、その場面だけに限定されるような部分は抑えて、感情面で「わかるわー」って共感できるよう上手く調節されてた。 「自分もあんな風に何かに情熱を燃やしてみたいな」という気持ちが後に残った。 でも円盤買おうと思う系ではないんだよなー。録画も残してない。 むしろ感動に対する恩返しがしたかったら、お布施捧げるより、貰った感動を無駄にしない生き方をするべきとか考えちゃう。どうせ何もしないだろうけど…。 キャラ達が具現化する演出のシーン、みんなは真っ先に何を思い浮かべた? 自分は、『銀魂』のラブチョリスホールだった…。他の人は何だったか気になる。 俺ツインテは相変わらず面白い反面、諸刃の剣を背負ってるな。 諸刃の剣というより、地雷源にわざわざ挑戦してしまくってるというべきか。 第二話にして舞台や設定が色々と語られたのだけど…。 これが意外としっかり練りこまれてた。でもまず肝心の『ツインテール』とか『属性』の定義の方は、ちゃんとしてないままなんですよ。だからとても勿体無い。 逆に書いてる人にとって「設定や定義は真面目に考えて当たり前」だからこそ、世間に浸透してる単語の方が実は意味がいい加減だとは夢にも思わないのだろうか? 第一話の怪人についての説明「人形を持った少女が好き」。oh…。 たえちゃニストの一人として言わせて貰おう。この属性は「本当に好きな人」以外が半端に触れたら、確実に神経を逆なでする結果になる地雷だ。 何故もっと当たり障りのない属性を選ばなかったのか…。 人形を持ってる女の子の魅力は、単に表面的に見て可愛いだけでは無い。 幻想世界の少女に託された、イマジナリーフレンダー達の儚く切ない想いは繊細。 現に人形を「これ」呼ばわりしてたけど、それだけでもうマズい。深く傷つく。 人形とぬいぐるみの方向性も微妙に違ってて、僕はぬいぐるみの方しかわからないけど、人形サイドの人たちもきっと同じような感想持つと思うよ。 普通にアニメとしては凄く面白い。 しかし「萌え属性」を扱う作品としては、俺ツインテはまだ課題点が沢山残ってる。 そこを拘り抜くことにもバカになれないと、バカアニメとしては半端に見えちゃう。 シリーズ構成が荒川稔久先生なので、今後にはまだまだ期待しています。 僕にとってはクウガ、ゴーカイの人。どちらも非常に神経質な作品なんですよね。 クウガは言わずもがな高寺P。ゴーカイも設定の回収やら全戦隊からゲストを呼ぶというのを徹底した。そういう作品に抜擢される人なんですよ、荒川稔久先生は。 属性やテンプレパターンの研究や追求といった要素があるようなアニメ。 (まかでみWa~、彼女がフラグを~なんかが、その方向に該当するかな) 今後も増えていくなら、明確な合格点のハードルとなるような作品が必要になるのではないだろうか。個人的には『妄想戦士ヤマモト』辺りを推薦したい(高過ぎか?)。 何かに情熱を燃やすアニメの直後が京アニ枠と考えると、温度差を感じますね。 甘城ブは京アニが平常運転であればある程安心します。そんな今季。 経理担当のお姉さんが今んとこ一番お気に入り。全登場人物は把握してないけど。 第2話と第3話で肌の色が違って見えるけど別の人なの? 光の加減? ガンダムBFの秘書さんに似てると思うんだけど、他に同意見は見かけないな。 4人の精霊みたいな娘達に抱く第一印象は失敗してしまった(見る側のこっちが)。 「緑色の娘の目つきってFREEの主人公に似てるなー」と思ってしまったんです。 一度そこを意識してしまうと「もしかしてあの4人ってFREEの4人の女版みたいな感じを出すことで女性人気も狙ってるのかも」とか考えちゃって、素直な目で見れない。 せっかくの水着回も「緑の子はFREEしか泳がない」とか勝手に考えちゃう。助けて。 オタク界の京アニのポジションって、正に一般娯楽界に例えるとTDLなんだよね。 京アニって、良い意味でも悪い意味でもなく「大人」なんだと思う。 つまらなくないどころか面白い。クォリティーも高い。売上という結果も出してる。 でも心の底から熱い情熱を突き動かされることは全く無い。それに挑戦するリスクを知ってて、わざと挑戦を避けてるようにすら見える。 僕の中の京アニは、そんなアニメばっか作ってるイメージです。 (あくまで作品内容の方向の話です。部分部分を作ってる方々は本当に真摯に情熱を持って仕事して下さってる方々だと思ってます。だからこその高クォリティー) 「最初から存在しないなら別にいいのに、あると欲しくなるよね」って結構ある経験だと思うんだけど、京アニのアニメって大抵そんな気分で追ってる。 飯屋で他人が食ってるのを見ると食いたくなるみたいな。ある意味で夜食テロ。 上の兄弟の持ってる物が欲しくなるような感覚にも近いかな。 「兄」という字が「きょう」とも「あに」とも読めるだけに。 PR |
秋は繊細な季節。それはアニメ視聴者にとっても同じなのです。
センチメンタルに暮れてみたり、全ての物事が虚しく感じてしまったり……。 だから「安心して見れるアニメ」が秋季には欲しくなるのです!
かと言って何も起こらないようなアニメが良いというのも違うのです。 安らぎが欲しいのなら、アニメなんて見ないで寝てた方がマシなのだから。 それだけ疲れるほどアニメの多い時代。 現実世界は季節の問題どころか、放送枠の勝ち取り自体が大変でしょうけど。 上手く季節にブースト掛けて貰える枠に恵まれたアニメは勝ち組ですね。 夏色キセキの再放送なんて季節としては合ってないけど、秋季に陥りがちな気分には有難いタイミングなんですよね、実は。うん、やっぱり大好き。 クロスアンジュみたいにハラハラするのは別の季節に見たいですね。 もう、怖いもの見たさで見てる状態。ダメかもしれん。自分は脱落しそう。 selectorのアキラッキーさんなんかは逆に安定しすぎてて安心して見れる…。 どっちも女の子が酷いのに、全然違うものに見えるのは何でだろ。 ガールフレンド(仮)は、安心して見れるという意味では最高の安全を誇る。 世界観や雰囲気はゲームのCMで嫌でも予習済みだし、存在感だけでネタになるキャラが居て、当たり障りのない部分で十分楽しめるというのも知ってる。 今季覇権候補としてスタートダッシュを飾るには、お釣りがくるレベル。 第一週を特番に使ってしまった出遅れすら巨大なマイナスに見える位。 (無かったら無かったで、内容を把握するのに困るけど) あれだけの数の女の子が出てくるのに、背景の建築物にまで目が行ってしまうのも何げにすごい(僕だけかもしれないけど)。建築なんて興味も無いのに。 吹き抜け構造で壁側に階段を持ってきてるガラス張りの場所。 (出番も多かったから校内のかなり中心の部分なのかな?) あれがなんかすごい理想的な構造に見えて気になる。 出入口と同じ高さのフロアから、その先へ進む「繋がり」の部分。 そこに開放感を加える事で、学生たちが学業に対して抱いてしまう重苦しさを少しでも和らげたいという職人の気遣い。まさに匠の技。 このアニメ…いやアニメ界の未来にまで明るい光が届くのが見えるかのようです。 古い学校では目にできなかった新時代の設計。発想の進化は未来を担う若者たちに向けられた贈り物。そして彼女らもまたいつか…次の未来にバトンを繋いでいく時が来る…。その為にも、愛すべき学び舎で今を精一杯輝いて過ごすのだ。 背景一つ見ただけでも壮大なドラマが脳内に広がるアニメ。気合いが違うな。 …そんな大げさな言い方は別としても、大勢のキャラが登場するという前提に対して複数のキャラを同時に絡ませやすくする事を想定して、立体的で視野の広い場所を作っているという意識は絶対あると思うんだよね。やはり職人魂を感じる。 日曜日はコックリさんも安心して見れる系ですね。 そしてもう一つ、天体のメソッド。なんか評判悪いけど僕は好きです。 とにかく可愛い。可愛けりゃ何でもいいって意味じゃくて、あれは素敵な世界を作れる人が生み出せる可愛さ。だから「素晴らしい」という意味も込めた「可愛い」。 今後の展開に何が来ても「可愛い」で全部済ませられそうなくらい可愛い。 月曜は異能力バトルが第二話だったけど、生徒会長が可愛いな。 きっかけは誤解だとしても一緒に居る内に本気で惚れるだろ。僕なら惚れる。 重い女フラグが見えるのは…始まったばかりの恋だからちょっと不器用なだけだよ。 主人公の性格も、根は普通に好感持てる青年だと第二話にして確認できた。 この作品、ちゃんと中二病らしさも踏まえてるし、内容も練られてる。 技のネーミングを考えるのに、文字数の統一性とか変な所で神経質に拘るとこまで描けるとか、ジャキガニストとしてかなり高レベルだぞ。 なのにどうしても何処かで感じてしまった「残念感」は何なのか。 色々と考えてみて、やっと一つの答えに辿り着きました。 主人公が不愉快とかなんじゃなくて「キャラとして未完成」に見えるんだ。 中二病以前に主人公として話の展開に柔軟に対応できる立場に居なきゃならないのが、逆に痒い所まで手が届かない状態になって、もどかしさを感じる。 それで全ての言動に対する裏付けが宙に浮いてるように見えるんだ。 そして「本当に中二病をわかってる人が書いたの?」という疑念に繋がってしまう。 カラクリさえ解ってしまえば何の事もない問題だったな。 中二恋の時に通った道と似たようなもんじゃないか。 よし! これで今後は安心して楽しめる。嬉しい。 自分が楽しみ方を見つけられないだけなのを作品のせいにして得意顔で批判をするなどは視聴者として愚の骨頂ですよね。 それでも人(に限らず生き物)は、未知のものを恐れるようにできている。 「視聴の仕方」が解かると全然違って見える作品って意外と多いんですよね。 内容をネタバレされたら当然嫌ですが、どんな心構えで見ればいいかの方は早めに掴みたい。その辺のバランスを考えてくれる構成作家さんには頭が下がります。 今回は「アニメを安心して見たい」という話ばかりでしたが、そんな気分になる理由は季節の問題ばかりでもなかったりします。 なんか最近ね「本当に面白いことは面白いんだけど、手放しで喜べない」という感想になるアニメが多いんです。喉に骨が刺さりそうなアニメと呼ぶべきか。 何を描くにも従わなきゃいけないテンプレみたいのがある時代だけど、そんなの書く人が作ったわけじゃないから、どこに地雷が埋まってるのか誰もわからない。だから大暴投も覚悟の上での確率論勝負を迫られるのが今のスタイルなんですかね。 観る側も、全体で見た収支計算でドライに好き嫌いの判断をしなきゃ駄目か…。 昔みたく「ガビィィン!! 俺のツボキター!!」みたいな衝撃をまだ期待していたいけど。 人って、そんな簡単に割り切れるものなんですかね? 足し算引き算のプラスかマイナスかでしか何かを見れないなんて、なんか淋しいよ。 |
今日は10月10日。『萌えの日』ですね。
でもどうせ記念絵とか描いても下手だし誰も見てくんないので今年は何もしない。 そういうのはもっとレベルが上がってからまた挑戦したいと思います。 そしていつものように、今季アニメの感想でもダラダラと…。 テラフォーマーズが他のアニメより一週早く始まったですが、翌々週にはもうその事を忘れてました。話の展開がゆっくりすぎて…。 いっそ30分枠全部使わないで15分か25分にして、残りの時間で『ごきチャ』をアニメ化したらどうだろう? 伝説の枠になるんじゃないかとか妄想してしまう。 …とか思ってたら、既にそんなコラボイラストが画像検索見たら溢れてた。 ごきチャもテラフォーマーズも原作を見たこと無いんですが、どっちもGを題材にしたのがインパクト高くて有名だという情報は嫌でも耳に入ってきます。 もっとも、ヒットし続けられる理由はそこだけでは無いのでしょうけど。 (一見物珍しく見えても、あえて誰もやってこなかっただけの事だし) なのでこれからが楽しみです。 土曜日で気になったのは、クロスアンジュ。 心地良いスポ根百合アニメ始まったと思ったら、人種差別アニメだったでござる。 障害児は間引くべきのコピペを思い出した。ひぃ婆ちゃんの産婆のやつ。 発達障害(隔離前世代だが)としては第一話を見てて複雑な気持ちだった。 仮面ライダー555のオルフェノクみたいなドラマが見れるかもという期待もある。 しかしちょっとキツい。なんか草加雅人に対して望んでたレベルの仕打ちに名護さんが遭ってしまったような気分になりました。 (逆に同日の翌朝スタートの新仮面ライダーは明るい内容になりそうですね) 単なる鬱展開kakkee!!するだけの胸糞アニメで終わるか、本当に大切なのはその先に出す答えだという展開になってくれるか。あんま期待してないけど視聴継続。 問題は欝展開自体があるかどうかより、そっちだと思うんだよな。 さばげぶっの第一話に対する感想でも言ったけど。 日曜の東京MX深夜は、第一週から台風情報によるL字地獄でした。 しかし何と同日内に更新されたキン肉マンに丁度、超人血盟軍「Lの陣形」!! MXがL字を出すのは「望みを捨てずに最後まで戦え」という意味だったのか! もしラブライブの放送も今季に重なってたら「希を見捨てずに最後まで戦え」とか誰かに言われてたな、きっと。だから東條先輩は色々とLサイズなのかも。 TBSもブリリなんとかの第一回放送が延期になるし、第一話欠陥ブーム到来だな。 しかし第一回から放送に支障があれば、みんなも早めに録画を諦めて円盤を買ってくれる可能性があるし、商売的にはいいのかも知れませんね。 (いや最初だとみんなBSの方での録画に走るから、途中の方がいいのか?) 月曜にやっと見れた、甘城ブリリアントパーク。we~are 甘城ブ~ゥ♪ 遊園地を盛り上げる話と聞くと、電撃G'sマガジンにあった『Merry Little Park!』という企画を思い出す。思い出すというか、ごっちゃになる。 甘城ブが人気出たらきっと「なんでこれは良くて、メリパは駄目だったの?」とか考えてしまいそう。 実際に僕が最近の「男の娘ブーム」に好感が持てないのは、『ウルトラC!』のやってた時代に見向きもしなかった連中が手のひら返してるように見えるからだし。 過去作品と被るテーマというと、最近では「中二病」もラッシュですね。 異能力バトルは~というのも月曜日に始まりました。 中二恋ですら既にピーク過ぎの作品に感じる程の邪気眼ファンから見ると、あまりにも「今更かよ」と感じる部分が寒くて耐えられない時がある。 きっと中二病ネタのアニメなんて何番煎じだよって時期だからだと思う。 決して「俺らの邪気眼ごっこって客観的に見たらこんななのかよ」という同族嫌悪ではないはず…ないよね…? なんか『ディーフラグ』と『いつか天魔の黒ウサギ』を接着剤でダメな方向にくっつけちゃったような作品だなーと思いました。 面白い時は面白いし、女の子も可愛いのに勿体無い。 木曜日は、電気街の本屋とSHIROBAKOが始まりましたね。 どちらもユーザーから見て「業界の裏側」を描いた作品。 近い位置にあるのは偶然だろうけど、食傷気味になりそう。 SHIROBAKOなんて「作る人たち」の苦労を描いてるのに、リアルでのそういう人達の頑張りがどう転んでも浮かばれないような前提となると、本当に悲惨ですね。 ジャンプのバクマンとかを見てた頃にも思っていたんですが、こういう裏側を描いた作品って、あくまで「楽屋ネタ」に近い内容じゃないですか。 観る側も「マル秘裏話」みたいのを見れて特した気分になるけど、あんまそういうのが増えすぎて肝心の表舞台との割合バランスが崩れても本末転倒ですよね。 「番外」という枠である事実は、何がどんなに人気出たとしても変わりようが無いのに、無理にそれ以上に出ようとする最近の傾向はどうかと思う。 業界側も他に話のネタの残弾が枯渇してたりするんですかね? 非現実の世界って無限に広がってるように見えて結局、作品という形に辿り着くには現実世界からの「共感」という細いパイプを潜って来れないといけないのかも。 だから現実世界が足止めを食ってるご時世だと影響も大きいものなのかな? …とか考えさせられる時間です。いや売上とかの問題ではなくて内容面の話で。 TBSもTBSで、甘城ブは遊園地という夢見せる世界の裏側。 ツインテも、特定のムーブメント要素をメタ視点で見てるといえばそうだし。 今季の木曜日はちょっとした「メタ視点作品デー」ですね。 アイカツもステージの舞台裏…と言えばそうだけど、これはちょっと方向が違うな。 俺ツインテールになります…実際見るまで、内容を少し誤解していた。 てっきり主人公がツインテールの女の子に変身するのではなくて、主人公とは別に女の子が居て、主人公は髪の部分だけに変身するのだとばかり思ってた。 内容は今季最強候補に上がれそうなくらい面白いんだけど…。 残念ながら、キャラデザ設定が致命的にミスってる気がするんだ。 特にツインテールの専門家でもない僕でも確実に言える…。 ツーサイドアップは、ツインテールじゃ無ぇ!! 生徒会長の結び位置もツインテールとは呼ばないんじゃないのか? ツインテールがメインテーマなのに、ツインテール好きから「わかってない」の烙印を押されたり総叩きをされそうなのが目に見えるようだけど大丈夫なのかな? …ってか録画を後で見返してみたら、三つ編みおさげまでツインテと呼んでる!? これはもう、全国の三つ編ミスト達の怒りを買うのは免れられないぞ。 タイトルはそのままでもいいけど、二つ束系の髪型を総称する単語は別に用意した方が良いんじゃないかな。もしその新語が流行れば、むしろ儲けものだぜ。 ツインテを「属性」と呼ぶのも気になった。個人的に髪型は、属性というよりは属性が使う技みたいな位置づけに分類したい。 自分の認識だと、耳より高い位置で結んでて肩より長いのが「ツインテ」。 耳より低い位置で結ぶと「二つ結い」。それを肩に掛けて前に出すと「おさげ」。 (…自分もこれで完全に合ってるかどうか自信は無い) 「テール=しっぽ」である事から、本来の髪の流れとは独立した位置に束があるのがイメージの基本なんだろうけど、その線引きが人それぞれなのが問題なんだね。 「ツーサイドアップ」は、ツインテよりか「ハーフアップ」からの派生ってイメージ。 ハーフアップも個人的には、もっと細かい括りで名称分けして欲しい。 特に「りっかちゃん」。この髪型大好きだから正式名称が欲しい。 (ツインテから話が逸れたな。くせっ毛だから上手く纏まらないんです) …考えてもみれば、ワタモテや中二恋だって本物から見て「違う」って言われる点も多かったけど完走できてたし、みんなそんなもんなのかな? (ってかツインテのキャスト、中二恋率高いな) あまりにピンポイントな題材だと、動かし辛さとかの問題が出てくる。 だから時には確信犯で便宜的に定義をぼかすのも、現実的には必要だとは思う。 でも節度は守って欲しい。そして後始末もできる限り、ちゃんとして欲しい。 例えば「百合」なんか例に出すと、マリみてなんかは本来の百合。 ストパニは確信犯的に砕けた広義の意味の「百合」を作ったが、節度は守った。 そしてその時代以降から今現在は正直、首を捻らざるを得ない事も多い状態。 やっぱり好きな要素がメインの作品って、一つくらいは欲しいと思うもの。 この情報化社会の中で、あまりに忘れられるのも致命傷だし。 でも無理や誤用されてまでは広まって欲しくないとか、譲れない一線はみんなある。 非常に難しい問題だよね。皆さんはどう思いますか? せっかく何かを表す単語が出来ても、誤用、乱用によって正しく機能しなくなる。 こういう問題は、なにもオタクが使う専門用語に限った話ではない。 人々にとって「言葉が軽くなった」というのは、インターネットが普及した時代辺りからずっと問題視されていたこと。 「人間は言葉を使う動物」っていう言い回しは、そろそろ変えた方がいい。 「人間は言葉を使わせて貰える動物」と言える位の謙虚さが必要だと思う。 言葉というのは、作ってくれた人、それを通じる物にしてくれた人達といった先人達のお陰で使えるんだよ。 それに対する感謝を忘れないようにして僕は生きていきたいと思う理想。 |
夏季アニメの最終回ラッシュも終わり秋季アニメの新作ラッシュの時期です。
秋季は人生と幕末Rockが早速、再放送ですね。 再放送枠はもっと増やして欲しい。その作品好きって人はもう1回見れるし、2回目はいいやって人はゆっくり休める。みんなハッピー! 休めるといえば、夏季は31日ある月が2つある上に年末年始なんかも挟みませんから、他季よりも番組改編期に余裕がありまくるんですよね。 しかも今年は12話やそれ以下の話数のも多くて、番組改編期にゆっくり休めた。 一足早く迎えた10話終了の2本、LOVESTAGE!!とプリヤ。偶然どちらも水曜マラソンの最後の時間。1時間早く寝られるというサプライズが訪れました! LOVESTAGE!!… 基本的な部分は特に言うことは無かったんだけど…。 一つだけどうしても見過ごせなかった部分がある。 主人公の描いた絵です。「ド下手」という設定らしいのですが、劇中に登場したのはどう見ても単なる「雑に描いた」だけの絵。下手なのと雑なのは全然違います。 どういう所でどう注意や意識が抜ければどんな影響が結果として絵に出るのか。 ちゃんと知ってないと故意に下手な絵を描くのって実は意外と難しいんですよ。 母の日の似顔絵コンテストなんかに子供が描いたような絵を大人がわざと描くのを想像して頂けるのが一番わかりやすいかな? それを研究していないというのは同時に、下手な人の気持ちをわかろうとしていない人が、下手さに悩み足掻いてる主人公を描いてるのかとも捉えられてしまう。 アイカツに始まり、ろこどるで終わるアイドル尽くしだった夏季の木曜日。 本当はこの2つ以外は木曜日まともに見てなかったけど。 アイカツも丁度秋季から主人公変わりますね。 ろこどるの最終回。 どうしても急いでたなら、常磐線経由で無理に流山鉄道に乗るより、つくばEX経由で南流山に出てタクシーの方が確実で早い気がしたんだけど…。 流山鉄道を画面に出さなきゃいけないノルマでもあったのかな? つくばEXがもし東京までの延伸に成功していたら、ルート変わっていたのだろうか。 それよりも中央リニアが既に開通していれば余裕で間に合えてたのに…。 …直前に電車のアニメがあると、どうしても色々と考えちゃうよね。 AWA2GiRLSというソープ嬢みたいな名前の3人組。 「流川ガールズ帰っていいよ」発言が不意打ち過ぎて不覚にもワロタ。 あの子らが「本末転倒」について語ってたシーンは少し耳が痛かったです。 僕も知多娘とか喜んでる割には肝心の知多半島に全く興味無いし。 夏色キセキも好きだけど、下田にもアイドル声優にも興味沸かなかった。 夏季は、ちょっと古い雰囲気を感じた作品が多かったのが印象に残りました。 モモキュンソードと六畳間には「懐かしさ」という意味で古さを感じてた。 その一方で「時代錯誤?」という意味で古さが気になったのが、さばげぶっ。 さばげぶっも全体的に見たら面白かったんだけどね。 どうしても「いつの時代の理屈!?」と反応に困る時間が幾つかあった。 酸素欠乏症の父さんから古い部品渡されたアムロ状態。 例えばCMの「妹に買ってやるフリをして切り抜けろ」って…。 今なんて、秋葉原とか行って買えば全然抵抗無い時代じゃん。 セーラームーンとかやってた時代じゃないんだからさ。下手すりゃCCさくらなんかの時点でもう時代は変わってたんじゃない? 第一話であった、鬱アニメが云々も一昔前の理屈だなーと思った。 今の時代に「鬱アニメ」が指すのは、単に暗い展開があるアニメでは無いよね? 他所が「あえて」そういうのを入れてないだけの所で、わざわざやっちゃうのを斬新と勘違いしちゃってドヤ顔したアニメが嫌われて言われる方が今は多いと思う。 四次元殺法コンビAAの言ってる「よく頭のおかしいライターや…」みたいな。 玄田さんのナレーションでも誤魔化せないレベルの時代錯誤。 そもそも玄田さんでインパクト取ろうとするのが既に『瀬戸の花嫁』の時代ですらもうギリギリかアウトの境目くらいな印象だった記憶がある…。 原作は古い作品なのだろうか? それともずっとやりたかったネタをやっと発表できた頃にはもう時代が変わってたってパターンなんだろうか? そもそも少女漫画だから、どういう理屈で動いてる世界なのか自体がわからんな。 あともう一つ夏季で印象に残ったのは、目の描き方が個性的な作品かな。 LOVESTAGE!!とハナヤマタが気になったんだけど、今後も多様化は進むのかな? しかもハナヤマタは原作の絵を見たら、全然アニメと違うし。 アニメのヤヤちゃんを見てると時々、ジャンプに昔あった『少年エスパーねじめ』って漫画に出てきた「へび君」を何故か思い出す。 ハナヤマタは六畳間と同じく「誰が好みか」みたいな目線で見れないアニメでした。 (好みの子が居ないって意味じゃなくて、そういう目で見るべきじゃないという意味) 個人的にはそれよりも、ハナちゃんのお母さんの実母特権な視点が羨ましくて胸がキューンとなってました(どんだけ気持ち悪い目線でアニメ見てんだよ)。 |
最初はどうなるか想像もできなかった『仮面ライダー鎧武』。 平成仮面ライダーは、仮面ライダーであると同時に時間枠的にはメタルヒーローの延長戦でもあるという認識がずっと自分の中にありました。 だから仮面ライダーらしくないのが出てきても、今回はメタルヒーローの色が濃いんだなって割り切りで今までは受け入れられてたんですよ。 その基準で見ても今回のデザインのコミカルっぷりは遂にカブタックとかのレベルになったと思うしかないぞって第一印象だった。 フルーツもそうですが、事前情報で聞いた『城下町』という単語に更に混乱。 大企業が投資したニュータウンみたいなイメージがすぐ出てこなくて…。 「時代までいつかわからない世界なの?」とかずっとピンとこない状態だった。 今後の集合時に他ライダーと並べるのか心配な外見に変貌していくパワーアップ。 そして最後はジョー岡田みたいな姿になる主人公。 プリキュアですらギャグに見えることを真顔でやっちゃう最近の男児向け特撮。 戦隊よりシブいイメージだったはずの仮面ライダーなのに…。 外見の反面、内容は初期の頃の平成ライダーを目指した脚本家。 昔みたく心に響く名台詞なんかも無くもなかったけど…。 子供のオウム返しみたいにしか見えない部分とかあると、一気に冷めるんです。 その象徴みたいなキャラが、ミッチだった気がする。 555の草加や木場みたいな行動や王蛇みたいな真似までこなした彼。 でも実際の動機はタイガの東條や下手したらクウガに出てきた蝶野くんレベル。 もしかしたら彼は劇場版の時にリバース装置で復活しかけた歴代悪ライダー達から 出た瘴気みたいなのを微量ずつ知らないうちに吸ってしまったのかもしれない。 それで本人も訳わからない方向に影響を受けていたのかも。 「舞さんはなぁ…僕の母親になってくれるかもしれない女なんだ …だから僕が英雄になるために犠牲になってよ」 とか言って欲しかった。 龍玄は後半全く出番無かったけど苦情とか来なかったんだろうか? メインキャラのつもりで玩具買ってあげた親御さんなんかも居るだろうし。 個人的には龍玄は蓮コラみたいな部分が気持ち悪いので苦手だったけど。 龍騎並の仮面ライダーの数だったけど、龍騎以上に最初からメインとなるライダーは決まってた様子の割には、退場者の出るタイミングのバランスが偏ってましたね。 この辺は玩具の売上に左右されてたんですかね。 自分はブラーボさんとプロフェッサーが好きでした。 プロフェッサーは死んでない可能性も期待してた。 本性…つまり自分の底を見せた上での敗北退場パターンだったわけだけど、その時の一人称がまだ「私」だったのが引っかかったんですよね。 彼は感情的になった時は一人称が「僕」になってたハズ。だからまだ何かあるんじゃないかみたいな期待が残ってた。一人称のことは素で忘れられてたのかな? でももしプロフェッサーみたいなポジションがラスボスなんかになっちゃうと、オーズの焼き増しと言われてしまうんだろうな。 ブラーボさんは終始いいキャラ過ぎて、ずっと退場して欲しくないと思ってた。 最後の方で丸くなりすぎてたのは、ちょっと引いたけど。完全に単なるオカン。 他に締め括りの語りを入れられそうな大人キャラが全員、リタイアしてしまった状態だったから仕方ないのかな。 後になってみるとドリアンさんとシドさんって対比的な部分あったなーと思う。 どちらも「大人のあり方」みたいなテーマが見えて、色々考えさせられた。 ドリアンさんは、プロ意識で行動することの中に大人の責任を。 シドさんは、自分の身を自分で守れる力を求める事に大人の責任を見出した。 この二人にあまり接点が無かったのは今思うとちょっと勿体無かった気がする。 若者たちがぶつかり合ったり迷走したりしてるパートとは別の所で、大人たちの完成された信念同士が絡み合うパートは、もっと見たかったです。 最終回も賛否両論あったけど、僕はいいフォロー回だったと思います。 城之内は嫌いじゃなかったけど、使い捨てキャラ臭が最初強かったんで、どうしても惰性で引きずって残ってたようなスッキリしない感じがあった。 それを見事に覆して貰った感じ。 しかも初瀬ちゃんのことも本当は薄々感づきながらも怖くて悩んでいたような様子をベストなタイミングで出してくれて、キャラにも話にも深さが出た! 変身した3人のライダーが丁度、それぞれを主要キャラ度で分けたら別々のクラスになりそうな中から1人ずつみたいな形になってて集大成感があったのも良かった。 今まで構成バランスに対して感じてた不満も解消させて貰えました。 紘汰さんは直接登場するより、幻影みたいな形での登場でも良かったかもと思う。 Wかめはめ波をセルに放った孫親子みたいな感じで。 そうすればあの格好で出る必要もなくなるし。きっとミッチの話し足りなかったことの中には、あの格好へのツッコミも含まれていたんだろうな。 最終回だけでなく、たまにあった特別回なんかも好きでした。 もしかして虚淵という人は、二次的にいじられて活きるような世界を作るのに向いている人なのだろうか? まどマギも、自分は本編を楽しむより同人で良いのが沢山出てる作品だから見てた傾向の方が強かった。まどマギ引き合いに出すのは良くないかもしれないけど。 さて次週からは、ドライブが始まりますね。 顔がオルタナティブみたいで地味な割に、胸のタイヤが悪魔騎士のプラネットマンを思い出すような奇抜なデザイン。 いや待て。何で車がモチーフなのに斜めに一輪のタイヤなんだ? 両肩に対象に付けるとかの方が自然じゃないのか? その理由は追々わかるのかな? 考えてみると戦隊の方で、ターボレンジャーが今25周年なんですよね。 来年の春映画は「子供が喜ぶ乗り物祭り」みたいなのになるのかな? ターボレンジャーって意外と注目されてるよね。 今年のプリキュアの10周年記念メッセージに対して「ターボレンジャーの第1話を思い出す」と言ってる人も思いの他多かったし。 (つまりプリキュア見てるのは、おっさんばっかりなのか…?) ゴーカイのカーレン回でネタにされたのも大きいんだろうか。 あのシーンでは是非「誤認の中に君がいる~♪」と歌って欲しかった…。 でも子供にわかり辛いから無理か。 |